1 自然の森の中で |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
縄文土器片、石器 |
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山梨県立考古博物館 |
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− |
桂野遺跡渦巻文土器 |
縄文時代中期 |
笛吹市教育委員会 |
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土器の胴部に力強く表現された渦巻文は、自然と共生していた縄文人の世界観やエネルギーを感じることができる。 |
釈迦堂遺跡渦巻文土器 |
縄文時代中期 |
釈迦堂遺跡博物館 |
◎ |
− |
2 甲斐の誕生 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
平城京出土木簡 習書・戯画木簡(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
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「甲斐」の習書や、相撲・伎楽面などの戯画が描かれた木簡。 |
平城京出土木簡 山梨郡貢進物付札木簡@(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
原資料
◎ |
甲斐国山梨郡から税としてクルミを進上したことを記した木簡。 |
平城京出土木簡 山梨郡貢進物付札木簡A(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
原資料
◎ |
甲斐国山梨郡から税としてクルミを進上したことを記した木簡。 |
平城京出土木簡 馬司食糧伝票木簡@(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
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平城京の長屋王邸において馬の世話係として働いていた甲斐の人などへの給料の支払いに関する木簡。 |
平城京出土木簡 馬司食糧伝票木簡A(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
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平城京の長屋王邸において馬の世話係として働いていた甲斐の人などへの給料の支払いに関する木簡。 |
平城京出土木簡 馬司食糧伝票木簡B(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
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平城京の長屋王邸において馬の世話係として働いていた甲斐の人などへの給料の支払いに関する木簡。 |
平城京出土木簡 山梨郡養物銭荷札木簡(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 奈良文化財研究所) |
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甲斐から都に働きにきた人のために、地元から1年分600文の養物支給に関する木簡。 |
甲斐国司解(複製) |
天平宝字5年(761) |
山梨県立博物館(原資料 正倉院宝物) |
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甲斐国の役人(国司)から中央政府の役所に上申した文書。 |
甲斐国印(推定復元) |
奈良時代 |
山梨県立博物館(原資料 正倉院宝物) |
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甲斐国の公印。甲斐国司解に押されている印。 |
佐久市聖原出土「甲斐国山梨郡大野郷・・・」刻書土器(レプリカ) |
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山梨県立博物館(原資料 佐久市教育委員会) |
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甲斐の地名「甲斐国山梨郡大野郷」などとヘラ書きされた土器。甲斐で生産され、佐久地方にもたらされた。 |
大坪出土「甲斐国山梨郡表門」刻書土器 |
平安時代 |
甲府市教育委員会 |
○ |
甲斐の地名「甲斐国山梨郡表門」とヘラ書きされた土器。「表門(うわと)」は、現在の甲府市和戸付近。 |
墨書土器 「東石禾」 松原遺跡 |
平安時代 |
笛吹市教育委員会 |
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甲斐の地名「東石禾」と墨書された土器。「石禾」は現在の笛吹市石和町付近。 |
墨書土器 「井上」 松原遺跡 |
平安時代 |
笛吹市教育委員会 |
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甲斐の地名「井上」と墨書された土器。「井上」は現在の笛吹市御坂町井上付近。 |
墨書土器 「玉井郷長」大原遺跡 |
平安時代 |
笛吹市教育委員会 |
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甲斐の地名「玉井郷」の役人「玉井郷長」と墨書した土器。地方組織の様子がわかる資料。玉井は、現在の笛吹市一宮町坪井付近。 |
東畑遺跡県内最古の金銅仏 |
奈良時代 |
甲府市教育委員会 |
○ |
集落遺跡から出土した仏像。山梨で最古の仏像とされる。 |
寺本廃寺出土瓦 |
白鳳時代 |
笛吹市教育委員会 |
○ |
山梨最古の寺院「寺本廃寺」(笛吹市春日居町)で使用した瓦。現在の甲府市川田町付近の窯で作られた。 |
天狗沢瓦窯跡出土瓦 |
白鳳時代 |
甲斐市教育委員会 |
○ |
甲斐市天狗沢で発見された、古代の窯跡で生産された瓦。寺本廃寺のものとは文様が異なる。 |
天狗沢瓦窯跡出土須恵器 |
白鳳時代 |
甲斐市教育委員会 |
○ |
甲斐市天狗沢で発見された、古代の窯跡で生産された須恵器。 |
甲斐国分寺(鬼瓦) |
奈良時代 |
笛吹市教育委員会 |
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奈良時代に創建された甲斐国分寺に使われていた瓦。 |
甲斐国分寺瓦と土器(平瓦・丸瓦) |
奈良時代 |
笛吹市教育委員会 |
|
奈良時代に創建された甲斐国分寺に使われていた瓦。 |
甲斐国分尼寺 出土墨書土器 (金山・松原遺跡) |
奈良時代 |
笛吹市教育委員会 |
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国分寺周辺の集落で出土した土器。「金寺」「花寺」など、国分寺、国分尼寺を示す墨書がある。 |
3 甲斐の黒駒 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
平林2号墳出土太刀、鉄鏃一括 |
古墳時代 |
山梨県立考古博物館 |
○ |
古墳に埋葬されていた武具。 |
市川三郷町大塚古墳出土横矧板鋲留(よこはぎいたびょうどめ)短甲(複製) |
古墳時代 |
山梨県立博物館(原資料 市川三郷町教育委員会) |
原資料
○ |
古墳に埋葬されていた鎧。※展示室では、壁面のグラフィックと併せてご覧ください。 |
伝豊富村出土眉庇付冑(まびさしつきかぶと)(複製) |
古墳時代 |
山梨県立博物館 |
|
古墳に埋葬されていた冑。眉庇(帽子のつばのようなもの)がついている。※展示室では、壁面のグラフィックと併せてご覧ください。 |
伝豊富村出土衝角付冑(しょうかくつきかぶと)(複製) |
古墳時代 |
山梨県立博物館 |
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古墳に埋葬されていた冑。先端が尖った形をしている。 |
平林2号墳出土 馬具 |
古墳時代 |
山梨県立考古博物館 |
○ |
古墳に埋葬されていた馬具。 |
塩部遺跡 最古の馬歯 |
古墳時代 |
山梨県立考古博物館 |
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集落遺跡の溝跡から出土した馬の歯。4世紀後半〜5世紀前半のもので、馬骨の出土例としては非常に早いもの。 |
古柳塚古墳馬具 |
古墳時代 |
笛吹市教育委員会 |
○ |
6〜7世紀の古墳に埋葬されていた馬具。山梨では、6世紀以降に古墳から出土する馬具の事例が増え、乗馬の習俗の浸透をうかがわせる。 |
平城京出土木簡 通行証明木簡(過所木簡)(複製) |
奈良時代 |
山梨県立博物館 |
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都にいた甲斐の人が帰郷することが記された木簡。東山道の不破関を通るとあり、甲斐から都への道のりがうかがえる。 |
狐原遺跡出土焼印 |
平安時代 |
上野原市教育委員会 |
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「山」という文字の焼き印。古代の牧では、飼育している馬に、牧ごとに違う焼き印を押していた。 |
正倉院文書「駿河国正税帳」(複製) |
天平10年(738) |
山梨県立博物館(原資料 正倉院宝物) |
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駿河国における税の収支記録。甲斐から都に馬を進上するために通行した役人に食糧を支給した記録などがある。 |
宮間田遺跡「牧」墨書土器 |
平安時代 |
北杜市教育委員会 |
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「牧」と墨書された土器、出土した遺跡は、平安時代の真衣野牧推定地に近い。 |
湯沢遺跡出土鈴 |
平安時代 |
北杜市教育委員会 |
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古代の駅に備えられた駅馬を使用するためには、駅鈴という使用許可証が必要だった。 |
4 水に取り組む |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
網代護岸
(宮沢中村遺跡) |
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山梨県立考古博物館 |
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−
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測量器(複製) |
江戸時代 |
個人 |
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江戸時代の優れた土木技術者であった窪田幸左衛門(1771〜1855)が用いた測量器。持ち運びに便利なように、簡単に分解・組み立てが出来る仕組みとなっている。 |
武田家朱印状
(桑原家資料 複製) |
天正3年(1575) |
個人(寄託) |
○ |
武田家が堤防工事に用いる材料の調達を命じた文書。 |
釜無川氾濫の図(複製) |
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長遠寺 |
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1802年(享和2)に鏡中条村(南アルプス市)付近で起きた大洪水の様子を描いた絵図。 |
信玄堤絵図
(新海家資料) |
明治3年(1870) |
山梨県立博物館 |
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現在の開国橋(甲斐市側)付近の堤防を描いた図。 |
信玄堤塘図面
(新海家資料) |
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山梨県立博物館 |
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現在の釜無川スポーツ公園付近の堤防を描いた図。 |
雨ごいの仏像 |
不明 |
清水寺 |
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日照りの際、雨乞いに使用された仏像。昭和40年頃まで使用された。 |
御幸祭川除の石 |
平成15年(2003) |
山梨県立博物館 |
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洪水を防ぐために行われる御幸祭(みゆきまつり)で、水神を鎮めるために使用される石。 |
石尊祭の藁束 |
平成14年(2002) |
山梨県立博物館 |
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水神である「石尊(せきそん)さん」の祭りで使用される。唱えごとをしながら、藁を一本ずつ束から抜き取り、川に投げ入れる。 |
「水神」墨書土器 |
平安時代 |
忍野村教育委員会 |
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水の神を祀る水神信仰が、平安時代からあったことを示す資料。 |
塩部遺跡 木製人形 |
平安時代 |
山梨県立考古博物館 |
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人形(ひとがた)は穢れや災いを人形に吹き込み、水に流す儀式に使われたもので、古代の水への信仰を知る貴重な資料。 |
算法地方大成
(長谷川家資料) |
天保8年(1837) |
山梨県立博物館 |
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堤防工事に必要な資材や人足数の計算方法について書き記された本。 |
徳島兵左衛門二百遠忌曼荼羅本尊 |
明治17年(1884) |
山梨県立博物館 |
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徳島堰を開いた徳島兵左衛門の二百遠忌に、現韮崎市の妙浄寺が発行したもの。 |
甲斐叢記 |
嘉永4年(1851) |
山梨県立博物館 |
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江戸時代の天津司舞の様子を描いたもの。 |
10 山に生きる |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
大鋸 |
昭和時代 |
山梨県立博物館 |
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材木を伐採するために使用した鋸。 |
焼畑衣装
(再現品) |
昭和時代 |
山梨県立博物館 |
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1950年代頃、奈良田(早川町)で焼畑を行う際に着用していた仕事着の再現品。 |
徳川家康朱印状
(田辺家資料) |
文禄2年(1593) |
山梨県立博物館 |
○ |
徳川家康が、黒川金山を採掘する金山衆出身の田辺土佐守(たなべとさのかみ)という人物にあてて出した証明書。家康の領地である関東地方の金山を発見次第、採掘してよいことを認められた。
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甲州金(一分金)
(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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戦国時代以来、金山が多数存在した甲斐国で独自に流通していた甲州金と呼ばれる貨幣。 |
材木伐出図巻 |
江戸時代
19世紀 |
山梨県立博物館 |
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山中で伐採された材木を、木曽川(長野県)で管流し(くだながし、材木を1本ずつ川に流すこと)し、筏組みして運送するまでの様子を描いた絵画。木曽川の林業の技術が、山梨の富士川などにも取り入れられていたと考えられている。 |
江戸城西之丸御用桧板(佐野家資料) |
天保9年(1838) |
身延町個人 |
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焼失した江戸城西ノ丸再建用の材木を調達するため、大崩村(身延町)の神社の社木を伐採したことを記した桧の板。伐採した板の見本と考えられる。 |
市川御用紙入札につき覚(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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市川大門村(市川三郷町)から納められた江戸幕府への運上紙(御用紙)を、入札により一般に払い下げることを記した古文書。 |
林業の道具を象った小正月のツクリモノ |
現代 |
山梨県立博物館 |
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南都留郡道志村の林業を営む家で、毎年小正月に、仕事が順調なことを祈願して作られる飾りもの。大鋸など林業の道具が象られている。 |
甲斐叢記 |
江戸時代
19世紀 |
山梨県立博物館 |
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江戸時代に編纂された甲斐国の地誌『甲斐叢記』に描かれた市川大門村(市川三郷町)の紙漉小屋。 |
焼畑の農事日記 |
大正11年(1922) |
早川町個人 |
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大正11年〈1922〉から昭和17年〈1942〉まで、奈良田で行われた焼畑の様子を記した日記。 |
京ヶ島村高反別改名寄帳(斉藤家資料) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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江戸時代、焼畑が刈生畑(かりゅうはた)として記録した検地帳。 |
8 里に暮らす |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
農業全書(市川家資料) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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江戸時代の農業技術に関する本。展示しているのは葡萄栽培に関する箇所とジオラマ作成にあたり参考とした耕作図の部分。 |
星つくり(甲州文庫) |
文化10年(1813) |
山梨県立博物館 |
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市川三郷町の俳人であった市瀬調実(1652-1725)の作った俳句や彼に関する事跡をまとめた書。 |
お荒神
(小林コレクション) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
|
台所の神様。 |
地神さん
(小林コレクション) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
|
大地の神様。 |
馬ブラシ(鉄製) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
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馬の血行をよくするためのブラシ。 |
馬ブラシ(藁製)
(小林コレクション) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
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馬の毛並みを整えるためのブラシ。 |
軍馬帽
(長田家資料) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
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馬の日除けの帽子。 |
草鞋
(穂坂家資料) |
|
山梨県立博物館 |
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人が履いた草鞋とおまじない用に壁につるした草鞋。おまじない用の草鞋はひとまわり大きい。 |
馬草鞋 |
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山梨県立博物館 |
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馬の履いた草鞋。 |
千野村絵図(複製)
(甲州文庫) |
文政12年(1829) |
山梨県立博物館 |
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江戸時代の千野村(甲州市)を描いた絵図。 |
おかぶと(上野晴朗氏収集資料) |
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山梨県立博物館 |
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五月の節句に飾られた紙製のお面。男の子が生まれると、お祝いとして親戚などから贈られた。 |
算盤 |
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山梨県立博物館 |
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現在とは異なり、江戸時代は七つ玉の算盤が主流であった。 |
萬世塵却記
(原家資料) |
宝永2年(1705) |
山梨県立博物館 |
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江戸時代の和算に関する書。
日常生活のあらゆる場面で計算能力は必要不可欠であった。 |
おやなぎ |
現在 |
山梨県立博物館 |
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家内安全などのおまじないとして、屋根に投げたもの。 |
煙草箱
(甲州文庫) |
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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山梨県の名産品だった煙草の箱。 |
煙草包丁 |
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山梨県立博物館 |
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煙草を刻むための包丁。 |
煙草入れ
(大木家資料) |
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山梨県立博物館 |
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煙草と煙管をいれるための道具。 |
煙草煙管 |
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山梨県立博物館 |
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煙草を吸うための道具。 |
煙草包装紙の版木 |
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山梨県立博物館 |
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煙草箱を印刷するための版木。 |
大蛇になりし女の事
(若尾資料) |
|
山梨県立博物館 |
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甲斐国にいたという、生まれながら大蛇の体をした女性についての記録。 |
丸石道祖神
(レプリカ) |
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山梨県立博物館 |
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山梨県の甲府盆地およびその周縁部を中心に分布する、丸石を御神体とする道祖神の石像物。 |
百万遍の馬草鞋
(再現品) |
現代 |
山梨県立博物館 |
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甲州市塩山牛奥地区で、毎年7月14日に行われる百万遍の道切り行事で用いられる馬の草鞋。村の入口4ヶ所に立て、悪いものが入らない呪いとする。 |
家相図
(原家資料) |
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山梨県立博物館 |
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建物の位置、方角、間取り等から運勢を占うために作成されたもの。 |
字指
(甲州文庫) |
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山梨県立博物館 |
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師が弟子に対して本の文字を指し示す際に用いる棒(ぼう)。 |
天道方位
(原家資料) |
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山梨県立博物館 |
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吉となる建築工事等の日取りや方角について占った結果を記したもの。 |
9 城下町の賑わい |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
峡中商品包装袋集(甲州文庫) |
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山梨県立博物館 |
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ジオラマで再現した升屋の包装袋。 |
盆石の道具(大木家資料) |
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山梨県立博物館 |
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甲府城下を代表する大商家であった大木家に伝来した盆石の道具の一部。盆石とは、お盆の上に石や砂などである風景を再現した床飾りのこと。昔の甲府城下の商人も、ジオラマ作りを趣味としていた。
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甲州道中道法(福島家資料) |
天保5年(1834) |
個人(寄託) |
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ジオラマで再現した八日町にあった二文字屋藤右衛門が出版したもの。甲州道中における各宿間の距離などが記されている。 |
久保倉より市川喜左衛門宛残金差送り安否伺い書簡(頼生文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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甲斐国名産のお菓子である「月の雫」が江戸時代から贈答品として用いられていたことを示す手紙。「月の雫」はジオラマで再現した升屋で販売されていた。 |
柳町大神宮姫様と山車写真(若尾資料) |
大正時代 |
山梨県立博物館 |
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ジオラマで再現した柳町の大正期における写真。 |
輪宝 |
江戸時代
17世紀 |
山梨県立考古博物館 |
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地鎮(じちん)のための道具。
甲府城稲荷櫓跡から出土した。 |
数奇屋曲輪出土大型円形瓦(浅野氏家紋) |
安土桃山時代
16世紀 |
山梨県立考古博物館 |
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瓦の表面には、甲府城を整備した浅野氏の家紋である「違い鷹の羽紋」がある。 |
人質曲輪出土桐文様瓦 |
安土桃山時代
16世紀 |
山梨県立考古博物館 |
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瓦表面には豊臣家の家紋である「桐紋」がある。
甲府城を整備した浅野氏は、豊臣家の重臣であった。 |
本丸出土花菱紋瓦 |
江戸時代 |
山梨県立考古博物館 |
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瓦表面には甲府城主であった柳沢氏の家紋である「花菱紋」がある。 |
金箔鯱瓦 |
安土桃山時代
16世紀 |
山梨県立考古博物館 |
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創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦。 |
高札
(飯島一郎氏収集資料) |
慶応4年(1668) |
山梨県立博物館 |
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法令を記した板。 |
古棋(甲州文庫) |
文政12年(1829) |
山梨県立博物館 |
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囲碁の対戦経過を記録した本。武田信玄と香坂昌信との間で対戦された際の棋譜とされるものが掲載されている。 |
升屋の写真(甲州文庫) |
明治時代 |
山梨県立博物館 |
|
模型で再現した菓子屋 升屋(ますや)の明治時代の写真。 |
菓子法書(甲州文庫) |
文政6年(1809) |
山梨県立博物館 |
|
升屋で販売された菓子の製造法について記された書。 |
道祖神御祭礼祝儀并諸入用控(甲州文庫) |
文政3年(1820) |
山梨県立博物館 |
|
甲府横沢町における道祖神祭礼の勘定帳。 |
甲府上水木樋 |
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甲府市水道局 |
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木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。 |
甲府上府中組火消法被并纏図(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
|
火消たちの着ていた法被と火消組の纏(まとい)の図。 |
柳町家数間数改帳
(甲州文庫) |
享和3年(1803) |
山梨県立博物館 |
|
柳町における各家の敷地規模を記録したもの。 |
15 変貌する景観 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
堀田本 七十一番職人歌合 |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
|
1500年頃における機織の姿を描いたもの。昔から衣服に関する職業は女性が主たる担い手であった。 |
堀田本 七十一番職人歌合 |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
|
古衣などを販売する「すあい」という仲買商の姿を描いたもの。衣類に関しては生産から販売まで女性が一貫して担っていた。 |
東宮殿下奉迎送に関する書類(若尾資料) |
明治45年(1912) |
山梨県立博物館 |
|
明治末頃にあって、県内で最大規模を誇った製糸会社である草薙社の図。東宮(後の大正天皇)の巡検コースにこの会社が入っていたが、それだけ製糸業は当時の県を代表する産業であった。 |
絹糸、山繭の糸(繭糸検査事務所資料) |
昭和 |
山梨県立博物館 |
|
現在では殆ど作られていない絹糸と山繭の糸。 |
(甲府勧業試験場出土)ワイン瓶 |
明治時代 |
山梨県立考古博物館 |
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日本最初期のワイナリーである葡萄酒醸造所(ぶどうしゅぞうじょうしょ)が明治時代に甲府城内に建設され、その跡地から発掘されたワイン瓶である。山梨では全国的にも早い時期からワイン文化が育まれていたことを示す資料。 |
山梨県製糸家十傑当選者石版図 |
明治14年(1908) |
山梨県立博物館 |
|
新聞社が募集してまとめた県内有力製糸業者のベストテン。当時における製糸業の盛んさがうかがえる。 |
勧業製糸場製造葡萄酒販売保証書(甲州文庫) |
明治11年(1878) |
山梨県立博物館 |
|
日本最初期のワイナリーである勧業場で製造されたワイン等の販売をめぐって作成された書類。 |
5 信仰の足跡 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
金峰山出土品(釘、古銭、銅盤、数珠玉) |
古代〜平安時代 |
甲府市教育委員会 |
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金峰山山頂付近から採集された資料。水の信仰に関わる土馬、水晶玉などが含まれる。 |
蔵王権現立像 |
平安時代 |
山梨県立博物館 |
○ |
金峰山信仰を象徴する権現像。右手を振り上げ、右足を挙げて立つ、典型的な蔵王権現像。 |
愛染明王(レプリカ) |
12世紀 |
山梨県立博物館(原資料 甲州市放光寺) |
原資料
◎ |
甲斐源氏の安田義定が創建した放光寺に伝わる仏像。弓矢を天に向けて放とうとする姿から、「天弓愛染」と呼ばれる。 |
地蔵菩薩立像 |
鎌倉時代 |
勝俣信彦 |
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富士山頂、初穂打場と呼ばれる内院を拝する場所に安置されていたという銅造の地蔵菩薩像。背面に乾元2年(1303)の銘がある。 |
富士山 五合五勾 経ヶ岳出土経巻(レプリカ) |
平安時代 |
山梨県立博物館 |
|
富士山五合五勺から出土したという経巻。朱色で観普賢菩薩行法経が書写されている。 |
甲斐勝沼柏尾経塚出土品 銅経筒(レプリカ) |
平安時代 |
山梨県立博物館 |
原資料
◎ |
大善寺の東方、柏尾山白山平から出土した銅製経筒。筒身に制作に関わった僧寂円や三枝一族の名が刻されている。 |
韋駄天立像 |
南北朝時代 |
個人 |
|
南北朝時代制作とされる韋駄天像。円光院旧蔵と伝える。禅宗寺院の庫裡に祀られることが多い。 |
役行者像(レプリカ) |
12世紀 |
山梨県立博物館(原資料 甲府市円楽寺) |
原資料
○ |
修験道の開祖、役小角の像。日本で最も古い行者像といわれている。 |
6 甲斐を駆ける武士たち |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
源平合戦図屏風 |
江戸時代
17世紀 |
山梨県立博物館 |
|
源平合戦のうち、元暦元年(1184)におきた一の谷合戦の様子を描いた屏風絵。安田義定他の甲斐源氏が源範頼・義経軍に属して平氏と戦い活躍した。 |
孫子の旗(復元) |
戦国時代 |
山梨県立博物館(原資料 恵林寺) |
原資料
○ |
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。 |
諏訪神号旗(復元) |
戦国時代 |
山梨県立博物館(原資料 恵林寺) |
原資料
○ |
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。 |
『関東下知状』(レプリカ) |
応長元年(1311) |
山梨県立博物館(原資料 大善寺) |
原資料
○ |
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。 |
銅製経筒及び付属品(レプリカ) |
建久8年(1197) |
山梨県立博物館(原資料 南アルプス市個人) |
原資料
○ |
甲斐源氏の一族加賀美光経が奉納した経筒。源頼朝により滅ぼされたという兄秋山光朝の供養のため埋納したと考えられている。 |
『犬追物図説』(伊勢貞丈) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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犬追物は、鎌倉時代以降、武士たちの間で盛んに行われた。小笠原長清をはじめ甲斐源氏の一族は、甲斐の牧を支配し、騎馬による武芸に秀でていた。 |
『小笠原流故実伝書』(水島ト也) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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室町時代〜江戸時代、幕府によって奨励された武家作法の一つ小笠原流の故実について記したもの。 |
7 戦国からのメッセージ |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
織田信長禁制
(本庄家資料) |
天正10年(1582) |
山梨県立博物館 |
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武田家を滅ぼし甲斐に入国した織田信長が、河口郷(かわぐちごう、富士河口湖町)において、軍勢の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)などを禁止するよう命じた文書。 |
武田家朱印状
(甲州文庫) |
元亀2年(1571) |
山梨県立博物館 |
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他国に逃げ出した領地内の百姓を連れ戻すよう、朝比奈信置(あさひなのぶおき)に命じた武田家の朱印状。戦国時代は、戦乱を避けて村を離れる人々が大勢いたことがわかる。 |
「勝山記」 |
江戸時代
19世紀 |
山梨県立博物館 |
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戦国時代の富士山麓における人々のくらしや戦乱、災害などを記した『勝山記』の写本。 |
最新の占標(小室浅間神社) |
平成18年(2006) |
山梨県立博物館 |
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毎年1月14日の夜から15日の未明にかけて小室浅間神社(富士吉田市)で行われている筒粥占いの結果を記した占標。一年間の作物の出来具合や天候を占う。 |
筒粥神事の道具 |
昭和時代 |
山梨県立博物館 |
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小室浅間神社で筒粥の占いをする際に使用するカイバシラ(粥柱)、カクハンボウ(撹拌棒)など。 |
11 川を彩る高瀬舟 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
鰍沢御蔵台鰍沢河岸遺跡の出土遺物 |
江戸時代〜明治時代 |
山梨県立考古博物館 |
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平成12年から16年に、山梨県教育委員会が鰍沢河岸跡の発掘調査を行い、江戸時代から明治・大正時代の河岸の人々の生活や交易を示すものが数多く発見されている。これらの資料は、水運の港(河岸)として栄えた鰍沢の様子を伝える。 |
鰍沢遺跡 鰍沢川岸出土遺物ガラス瓶 |
明治時代〜大正時代 |
山梨県立考古博物館 |
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− |
鰍沢河岸出土品 泥面子 |
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山梨県立考古博物館 |
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泥面子は、江戸時代の玩具であるが、鰍沢河岸では建物の基礎部分から出土している。おそらく「家内安全」「商売繁盛」などを願い埋められたものと考えられている。 |
懐宝甲斐国絵図(上野晴朗氏収集資料) |
天保13年(1842) |
山梨県立博物館 |
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富士川沿いの名所まで描かれた江戸時代の甲斐国の絵図。 |
峡算須知
(甲州文庫) |
寛政5年(1793) |
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青柳村(現増穂町)の井上昌倫が書いた和算の本。 |
富士川水運関係会社印鑑(上野晴郎氏収集資料) |
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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近代に活躍した富士川水運関係会社の印鑑類。 |
算術免許書 見題・隠題 |
見題…嘉永4年(1851)
隠題…元治元年(1864) |
山梨県立博物館 |
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市川大門の和算家である小沢有隣が与えられた関流の算術免許書。 |
足半草鞋 |
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山梨県立博物館 |
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富士川水運の船頭は、かかとのない草鞋を履いて重い船を引っ張っていた。 |
12 道がつなぐ出会い |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
甲州道中分間延絵図 |
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山梨県立博物館 |
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道中奉行所が実地測量を行って五街道絵図を製作したが、そのうちの甲州道中分の模本。今回は大月周辺を展示している。 |
歌川広重 六十余州名所図会 甲斐 さるはし |
嘉永6年(1853) |
山梨県立博物館 |
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嘉永6年3月から安政3年(1856)にかけて制作した、日本全国の名所旧跡を題材にした揃い物「六十余州名所図会」のうちの一枚。甲斐を代表する名所として猿橋を選び、紅葉の渓谷を見下ろした構図で描いている。 |
躑躅ヶ崎館跡出土陶磁器 |
戦国時代 |
甲府市教育委員会 |
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武田信玄の館跡である躑躅ケ崎館からは、中国や朝鮮半島で生産された陶磁器がたくさん発見されている。 |
渥美短頸壺 |
平安時代 |
山梨県立博物館 |
○ |
渥美半島の大アラコ古窯で生産された陶器で、おそらく海上輸送された後、富士川を遡り富士山麓が一望できる埋経の地に運ばれたものと考えられる。 |
中国銭貨 |
室町時代 |
大月市(個人) |
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中世の甲斐国では、中国銭が流通していたことがわかる。 |
一宮町東原 常滑甕 |
鎌倉時代 |
山梨県立博物館 |
○ |
中世には常滑や瀬戸で焼かれた陶器が甲斐の地に流通している。 |
瀬戸瓶 |
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山梨県立博物館 |
○ |
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海を渡った陶磁器 (大甕・染付・灰釉皿) |
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降矢進(寄託) |
○ |
中国からもたらされた染付や青磁の陶磁器。東アジアと日本の流通を物語る資料。 |
木喰五行作 弘法大師像 |
寛政13年(1801) |
山梨県立博物館 |
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廻国修行を遂げた木喰は、故郷の丸畑に四国八十八ヶ所の仏を納める四国堂を建設した。本像はその一体目。一木から彫り出した微笑仏。柳宗悦が木喰仏を見いだしたきっかけとなった像のひとつ。 |
甲州道中図屏風(右隻) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
○ |
身延詣での旅をして、描き写した甲斐の景色。もとは絵巻だったものを屏風に貼り込んだもの。 |
石櫃 |
江戸時代 |
甲府市右左口町宿区(寄託) |
○ |
天正10年(1582)、徳川家康が塩などの海産物にかかる租税を右左口村の人々に免除することを記した朱印状を納めた石櫃。 |
徳川家康朱印状(右左口区有文書) |
天正10年(1582) |
甲府市右左口町宿区(寄託) |
○ |
徳川家康が、甲斐と駿河(するが、静岡県)とを結ぶ中道往還(なかみちおうかん)に沿った右左口(うばぐち、甲府市)の人々に、街道の運送役を命じる一方、塩などの商売にかかる税を免除した文書。 |
右左口「鑑札」 |
江戸時代 |
甲府市右左口町宿区(寄託) |
○ |
右左口商人が街道を通行する際に証明のため携帯していた鑑札。 |
右左口「焼印」 |
江戸時代 |
甲府市右左口町宿区(寄託) |
○ |
右左口商人の鑑札を製作するための焼印。 |
右左口の人形2体 |
江戸時代
19世紀 |
甲府市右左口町宿区(寄託) |
○ |
江戸時代の左右口(うばぐち)宿では、徳川家康から税制上の特権を認められたことを記念して、毎年七月に人形芝居のお祭りが開かれていた。展示されているのはこの祭りに使われた人形。 |
13 江戸文化の往来 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
『甲斐国志』写本
(甲州文庫) |
不明 |
山梨県立博物館 |
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江戸時代版の山梨県史である『甲斐国志』。原本は幕府に納められた。甲斐の歴史の基本資料。 |
甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之滝(レプリカ) |
江戸時代
天保14年(1841) |
原資料 山梨県立博物館 |
原資料
○ |
歌川広重が、甲府道祖神祭のために描いた幕絵のうち、現存唯一。 |
大幡村絵図 |
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『甲斐国志』編さんのために提出された大幡村(現都留市)の絵図。 |
川中島合戦(歌川国芳筆) |
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山梨県立博物館 |
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永禄四年(1561)の第四回川中島合戦の際、武田信玄と上杉謙信が一揆討ちをする様子を描いた錦絵。 |
武田上杉川中島大合戦図(歌川国芳筆) |
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山梨県立博物館 |
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永禄四年(1561)の第四回川中島合戦の際、武田信玄と上杉謙信が一揆討ちをする様子を中心に、山県昌景、武田信繁、山本勘助ほかの奮戦を描いた錦絵。 |
川中島大合戦之図(歌川貞秀筆) |
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山梨県立博物館 |
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永禄四年(1561)の第四回川中島合戦の際、武田信玄と上杉謙信が一揆討ちをする様子を描いた錦絵。信玄の本陣には、孫子の旗、諏訪神号旗、日の丸の御旗が見える。 |
武田上杉川中島大合戦図(歌川国芳筆) |
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山梨県立博物館 |
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天文二十三年(1554)にあったとされる二回目の川中島合戦の際、武田信玄と上杉謙信が御幣川の中で一揆討ちをする様子を描いた錦絵。越後流の軍学書『北越軍記』の記述などに基づき、上杉家の視点を反映した合戦の様子が描かれている。 |
西条山引返之図(歌川芳綱筆) |
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山梨県立博物館 |
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永禄四年(1561)の第四回川中島合戦の際、武田信玄と上杉謙信が一騎討ちをする様子を描いた錦絵。謙信の本陣西条山に向かった武田軍の部隊が、筏に乗って信玄の本陣へと駆けつけるところを、騎馬の上杉軍と川の中で戦っている様子を描いており、「甲陽軍鑑」、「北越軍記」にはない構図となっている。 |
14 転換期に向き合う |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
柏尾山合戦図 |
明治時代 |
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戊辰戦争の際、甲斐国柏尾山で繰り広げられた戦闘の様子。中央の人物は新撰組の近藤勇。 |
天保騒動の一揆進行の絵
(手塚家資料 複製) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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1836年(天保7)におきた天保騒動の被害範囲を示した絵図。 |
天保騒動の瓦版
(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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1836年(天保7)におきた天保騒動の様子を伝える瓦版。 |
ペリー来航ニ付覚
(福島家資料) |
嘉永6年(1853) |
個人(寄託) |
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嘉永6年(1853)ペリーが現神奈川県横須賀市の浦賀に来航した際の記録。 |
品川沖台場図
(福島家資料) |
江戸時代 |
個人(寄託) |
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ペリー来航を契機として、江戸を防備する目的から作られた砲台場の図。都留出身の天野開三等が中心となってその工事が行われた。 |
16 巨富を動かす |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
甲州屋の横浜進出に関する書簡(篠原家文書) |
安政6年(1859) |
山梨県立博物館 |
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安政6年の横浜開港に際して出店した甲州屋が、その開店準備中に甲州に出した書簡。外国奉行への開港場への出店依願状況や、横浜の店の建設のために、甲州の大工や材木を輸送しようとしたエピソードなどが読みとれる。 |
神名川横浜新開港図 |
万延元年(1861) |
山梨県立博物館 |
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甲州商人・篠原忠右衛門が横浜開港の際に「甲州屋」を出店した本町通り近辺を描いたもの。「甲州屋」は画面右の家並みの2軒目。 |
若尾稲作改良試験場成績表
(関本家文書) |
明治33年(1900) |
山梨県立博物館 |
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若尾家の土地集積は、若尾財閥の基礎をなした。それらの土地を運用した若尾地所部による稲作改良の成績を記した資料。 |
電燈及び電力事業許可願 |
明治29年(1896) |
山梨県立博物館 |
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甲府電燈(でんとう)が、荒川の水力を使って甲府に電気を供給しようとしていた計画資料および図面。 |
おもちゃ籠 |
大正4年(1915) |
山梨県立博物館 |
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若尾家三代目の謹之助が著した郷土玩具についての小冊子。 |
Q 共生する社会 |
17 地方病とのたたかい |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
俺は地方病博士だ |
大正3年(1914) |
山梨県衛生公害研究所 |
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地方病についての啓発のためにつくられた絵本形式のパンフレット。 |
スチブナール |
昭和 |
山梨県衛生公害研究所 |
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地方病の治療薬、日本住血吸虫(にほんじゅうけつきゅうちゅう)の駆虫(くちゅう)薬。副作用が強く、治療の辛さが証言により伝えられている。 |
地方病克服(こくふく)に向けて使用された実物道具類 |
昭和 |
山梨県衛生公害研究所 |
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火焔(かえん)による宮入貝殺貝(みやいりがいさつばい)のために使用された道具類。 |
地方病予防溝渠(こうきょ)プレート |
昭和36年(1961) |
山梨県衛生公害研究所 |
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地方病対策として整備が進められたコンクリート溝渠の表示板。県内の総延長が2000qにも及んだ。 |
18 明治40年の大水害 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
山梨県下大洪水宮本流壮士かぞえ歌 |
明治40年(1907) |
山梨県立博物館 |
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明治40年の大水害の被害状況を伝える数え歌。 |
明治四十年水害二関スル参考書 |
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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明治40年の大水害の被害状況のデータ集。 |
明治四十年八月山梨県下水害地巡視日記 |
明治40年(1907) |
山梨県立博物館 |
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明治40年の大水害の被災地(ひさいち)を訪れた警察官の記録。 |
水害時に使用した舟 |
昭和 |
山梨県立博物館 |
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水害頻発(ひんぱつ)地帯で使用された水害時用の舟。 |
19 山梨と戦争 |
資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
富士川国民学校要覧 |
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山梨県立博物館 |
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昭和16年の国民学校令により、それまでの尋常小学校などから国民学校へ改組された。教員の女性比率や年間行事からも、戦時色の濃さが垣間見える。 |
E46集束焼夷弾(しゅうそくしょういだん)(模型) |
− |
山梨県立博物館 |
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甲府空襲(くうしゅう)でも使用された焼夷弾。投下すると38発の焼夷弾に分かれ、炎をまき散らし家屋を燃焼させた。 |
徴兵(ちょうへい)保険証書 |
明治31年(1898) |
山梨県立博物館 |
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戦前、20歳の徴兵時に備えた保険の証書。 |
学校防空指針 |
昭和18年(1943) |
山梨県立博物館 |
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戦時中、学校の児童・生徒を防空(ぼうくう)活動に動員するために定められた指針(ししん)。 |