16 巨富を動かす
幕末期に生糸取引で活躍した甲州屋忠右衛門や、のちに甲州財閥として巨富を動かした若尾逸平らの人物像に迫り、甲州から出発した彼らの旺盛な行動力や積極性について紹介します。
また、甲州財閥の行った電気や鉄道をはじめとした町の基盤づくり事業が、現在の私たちのくらしに生きていることを紹介し、日本や山梨の近代化における彼らの事業の意義を明らかにします。
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展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
小野金六書簡(甲州文庫)
明治45年
(1912)
山梨県立博物館
富士身延鉄道(現在のJR身延線)の初代社長に就いた韮崎出身の実業家・小野金六から、同鉄道の沿線自治体であった鷹岡村(現在の富士市の一部)の役場に宛てた書簡。
小野金六銅像絵はがき
大正13年
(1924)
山梨県立博物館
富士身延鉄道(現在のJR身延線)の初代社長として、その実現に尽力した小野金六の死去翌年に建設された銅像の建設を記念して発行された絵葉書。身延駅の東側の山頂に建設されたが、戦時中の金属供出によって現存していない。左頁は佐竹作太郎。
富士身延鉄道沿線名所図会(甲州文庫)
昭和3年
(1928)
山梨県立博物館
富士身延鉄道(現在のJR身延線)の沿線を描いたパンフレット。作者は当時特徴的な鳥瞰図を得意とした吉田初三郎。
富士山麓開発に関する意見(甲州文庫)
大正6年
(1917)
山梨県立博物館
鉄道を通じた富士山開発を論じたもの。
甲府駅発車時間表(三井家文書)
昭和4年
(1929)
山梨県立博物館
電化直前の甲府駅の時刻表(時間表)。全通直後の富士身延鉄道(身延線)の静岡方面への発車時刻を左に、中央線の上下の時刻を右に表しており、中央線の上り下りを足した本数と身延線の上りの本数がほぼ同じであることがわかる。また、中央線下りには現在は存在しない中央東線と西線を直通する「名古屋行」を見ることが出来る。
若尾逸平ミニチュア
明治〜大正時代
山梨県立博物館
甲府市愛宕山に若尾の米寿記念に建てられた寿像(写真小川一眞、原型河村嘉祥、鋳造漆原新七 『若尾逸平』より。現存せず。南アルプス市に再建銅像が所在。)と同様のミニチュア。像からも小柄な老人であること、右足を踏み出すポーズから、溢れ出る行動力が想起される。明治40年(1907)の銅像建設時、あるいは大正時代の若尾公園の造営時の記念品であろうか。
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