山梨県立博物館 かいじあむ
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4 水にとりくむ

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真山梨の人々は、度重なる水害を克服するために信玄堤などの独自の治水技術を発達させ、徳島堰などの利水事業を通じて、豊かな水の恵みを生み出してきました。
水に関わる人々のさまざまな歴史と同時に、そこから生まれた民俗や信仰や先人たちの水に取り組んできた姿を紹介します。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
釜無川氾濫の図(複製)   山梨県立博物館(原資料:長遠寺)    享和2年(1802)に鏡中条村(南アルプス市)付近で起きた大洪水の様子を描いた絵図。
網代護岸 (宮沢中村遺跡)    山梨県立考古博物館    洪水から水田を守るため、鎌倉時代に造られた護岸。
おささら様(模造品)          甲府市小瀬町で行われる天津司の舞(国指定重要無形民俗文化財)で使用される人形。甲府盆地が湖だった頃、天から降りて来て舞い踊っていた神々の姿を現している。
和歌・俳句等書上(斎藤家資料) 延享5年
(1748)
山梨県立博物館   延享4〜5年(1747〜48)にかけて実施された甲斐国の御手伝普請(幕府が大名に命じて行わせる土木工事)の際に、甲斐に来た岡藩(大分県)の藩士が、滞在していた京ヶ島村(早川町)の名主と和歌や俳句を詠み交わした時の記録。
駿遠州川々御普請絵図(平岡家文書) 文化12年
(1815)
個人   静岡県を流れる大井川・天竜川の堤防を描いた絵図。平岡和由・良辰は、江戸時代前半に甲斐国代官頭を務めたが、子孫良郷・良政・良忠は中泉(磐田市)の代官となり、天保6年(1835)に現地の治水工事を幕府から命じられた。
『甲斐国志』巻二八(甲州文庫) 文化11年
(1814)
山梨県立博物館   江戸時代後期に用いられていた堤から東へ10町余(約1.1q)にある提を、武田時代のものとして「信玄堤」と呼称している。
石尊祭の藁束 平成14年
(2002)
山梨県立博物館    水神である「石尊(せきそん)さん」の祭りで使用される。唱えごとをしながら、藁を一本ずつ束から抜き取り、川に投げ入れる。
御幸祭川除の石 平成15年
(2003)
山梨県立博物館    洪水を防ぐために行われる御幸祭(みゆきまつり)で、水神を鎮めるために使用される石。
形代 人形(南アルプス市大師東丹保遺跡出土) 鎌倉時代 山梨県立考古博物館    大師東丹保遺跡では水辺の祭祀に用いられる形代や斎串が多数出土した。人形に災いを移し、清らかな水に流す現代の大祓に似た使い方がされたと考えられる。
雨乞いの仏像 不明 清水寺    山梨市市川の清水寺に伝承される雨乞いの仏像。
測量器(複製) 江戸時代 山梨県立博物館(原資料:個人)    江戸時代の優れた土木技術者であった窪田幸左衛門(1771-1855)が用いた測量器。持ち運びに便利なように、簡単に分解・組み立てが出来る仕組みとなっている。


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