山梨県立博物館 かいじあむ
博物館収蔵の資料をデータベースから検索 収蔵資料案内
topに戻る
 
かいじあむとは
活動紹介
利用案内
施設案内
展示案内
交通案内
イベント案内
富士山
お楽しみ資料
キッズミュージアム
教職員の方へ
グループ・団体の皆様へ
展示案内

12 道がつなぐ出会い

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 甲斐国の街道と脇往還を紹介し、さまざまな道や峠を越えて往来していた多様な人々の旅の様子や、モノの交流の様子を知り、鉄道以前の陸路の果たした役割を考えます。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
石櫃(右左口区有文書及び関連資料一括) 江戸時代 宿区 右左口(現甲府市)の集落にとって重要な古文書類を納めるために作られた石の櫃。蓋や本体に葵紋が彫られ、彩色されたうえに金箔が押されるなど、手の込んだ細工が施されている。
徳川家康朱印状(右左口区有文書及び関連資料一括) 天正10年(1582) 宿区 徳川家康が、右左口の住民に与えた課役免除の朱印状。右左口は駿河と甲斐を結ぶ中道往還の宿場町であった。
徳川家康朱印状(国府村辻家文書) 天正10年(1582) 山梨県立博物館   徳川家康が、本多正信・高木広正を介して、辻次郎右兵衛に対し、国衙・立川・松本(いずれも現笛吹市)などの本領を安堵した朱印状。当時家康が用いていた「福徳」朱印が捺されている。
徳川家康朱印状写(甲州文庫) 原資料 天正10年(1582) 山梨県立博物館   徳川家康が、井伊直政を介して、古屋兵部助に本領を安堵した際の朱印状の写し。上手村・小笠原村(ともに現北杜市)の所領と、棟別銭免除、夫丸2人などを認めている。
徳川家康朱印状写(大木家文書) 原資料 天正10年(1582) 山梨県立博物館   徳川家康が、本多正信・高木広正を介して、窪川右近助に対し、窪八幡(現山梨市)近辺の所領を安堵したもの。
徳川家康朱印状写(檜峰神社武藤家文書) 原資料 天正11年(1583) 山梨県立博物館   徳川家康が、檜峰神社の神主であった武藤氏に対して、檜峰神社領として井上・夏目原(いずれも現笛吹市)などの所領の支配を認めたもの。写しではあるが、紙の大きさや文字の配置なども意識し、包紙とともに原本に忠実に作成されたものと考えられる。
徳川家康判物写(坂名井家資料) 原資料 天正11年(1583) 山梨県立博物館   徳川家康が、甲斐国二宮の美和神社の神主上野氏に対し、美和神社の社領として塩部(現甲府市)・唐柏(現笛吹市)などの本領を安堵したもの。
三月節供雛人形(大木家資料) 昭和時代 山梨県立博物館   明治時代から昭和時代初期にかけての雛人形。道具類の中では、内裏雛の後に配置した雛屏風が見事である。煙草盆・煙管など、当時の喫煙文化や女児の節供の過ごし方などがうかがえ興味深い。
抱き人形(大木家資料) 明治時代か 山梨県立博物館   着物には大木家の家紋や裾模様が染められていることから、この人形のために特別に誂えられたものであることがわかる。人形遊びは、それを通じて家事や裁縫を覚えていったりするなど、教育的な側面も担っていた。
弘法大師像 木喰作 享和元年
(1801)
山梨県立博物館
廻国修行しながら、全国で多くの仏像を制作した江戸時代の身延町出身の木喰が、故郷に戻った際、制作した像。もとは四国堂と呼ばれる四国八十八か所霊場の本尊を祀る堂内に安置されていた。四国堂のために制作された像は90体ほどだが、背面の銘文から、本像はその中で最初に制作された一体と考えられる。


戻る


サイトマップ リンク
ご意見・ご感想 このサイトについて 個人情報保護方針