資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
新巻常滑大甕 |
室町時代 |
個人 |
県 |
昭和8年(1933)、笛吹市一宮町新巻で発見された室町時代の常滑大甕。大甕の中には、国内産の陶器とともに、14-15世紀に製作された中国製の陶磁器が納められていた。
遠く海を渡ってきたこれらの陶磁器は、当時の有力者が国内にとどまらず、はるか大陸の製品を求め、流通していたことを示している。 |
海を渡った陶磁器 (青磁・染付・灰釉皿) |
室町時代 |
個人 |
県 |
駒橋出土埋蔵銭 |
室町時代 |
個人 |
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中世の甲斐国では、中国銭が流通していたことがわかる。 |
躑躅ヶ崎館跡出土陶磁器 |
室町時代 |
甲府市教育委員会 |
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武田信玄の館跡である躑躅ケ崎館からは、中国や朝鮮半島で生産された陶磁器がたくさん発見されている。 |
渥美焼 壺(金地蔵遺跡 |
平安時代
(12世紀) |
笛吹市教育委員会 |
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渥美半島(愛知県)で生産された大型の壺。山梨では平安時代末期頃の「渥美焼」と呼ばれる陶器がいくつか発見されている。 |
東原古瀬戸瓶 |
鎌倉時代 |
山梨県立博物館 |
県 |
南部町の篠井山頂から発見された。渥美半島の大アラコ古窯で生産され、海上輸送された後、富士川をさかのぼり、富士山麓から山頂が一望できる埋経の地にもたらされたものであろう。 |
東原常滑大甕 |
鎌倉時代 |
山梨県立博物館 |
県 |
鎌倉から室町時代にかけての国内産の陶磁器は、おもに渥美、常滑、瀬戸などの生産地からの製品が甲斐国内に流通していた。本資料のような大型の製品は、陸路よりも水運で輸送されたと考えられる。 |
富士講行着(大木家資料) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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富士登山の際に着用した行着(ぎょうぎ)。行着は、宝冠、上衣、帯、腹掛、股引からなり、これに御身抜入れに入れた御身抜を背負って登山をした。。 |
富士山神札(大木家資料) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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富士山に代参した音助によってもたらされたお札。甲府の町人たちが代参講を組織していたことや参詣地がわかる。 |
富士見十三州輿地全図 |
天保13年
(1842) |
山梨県立博物館 |
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富士山を中心に、富士を眺望することができる13の国(武蔵・相模・安房・上総・下総・常磐陸・上野・下野・伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃)を描いた絵地図。富士山は中央左下の黄色の円形で、海岸線と湖は青、山地・山脈は緑、主要な城下町や町、それをつなぐ道は赤で示されている。 |
百富士 |
明和4年
(1767) |
山梨県立博物館 |
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各地から眺めた富士山の風景を全101図としてまとめたものである。それぞれに俳句や漢詩が記されている。この作品は、葛飾北斎『冨嶽三十六景』の構図にも影響を与えたと考えられる。展示している部分は、五街道の起点となった日本橋から富士山を眺めた絵である。手前から高札場や日本橋、江戸城、富士山と描かれている。 |
富士土産名所図会 |
明治41年
(1908) |
山梨県立博物館 |
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富士山本宮浅間大社、北口本宮富士浅間神社、富士山小御嶽神社、田子の浦、御殿場など、8つの名所における富士を描いた図絵。軽く、安価な浮世絵は土産物として人気であったが、石版画や写真技術の導入により、絵葉書や写真がその代わりを担うようになった。展示している部分からは、富士山が国外でも認められる名所になったことがうかがえる。 |
富士百景 |
近代 |
山梨県立博物館 |
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美術写真研究家・今尾掬翠が撮影したとされる富士山の写真集。東海道富士駅から、相模、甲斐、富士山麓を一周、東海道三保に到着する形で構成されている。展示は、「箱根乙女峠より見たる富士」で、乙女峠は富士見三峠のひとつ。箱根裏街道の道中にあり、現在でも同様の景色を眺められる。北斎や広重の描く芦ノ湖越しの富士という箱根の景観とは違った姿である。 |
国立公園富士五湖勝地漫画第3巻 |
昭和8年
(1933) |
山梨県立博物館 |
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富士山周辺の名所・風俗を記した絵入りの旅行案内である。この旅行案内は、富士山が観光地として整備されていく過程で作られた。展示している部分は、精進湖のパノラマ台からの眺めが描かれている。パノラマ台からは富士山だけではなく、青木ヶ原樹海や西湖・河口湖も一望することができ、昭和天皇もこのパノラマ台に登って景色を眺めたほどの名所である。 |
恵比寿大黒天像 木食白道作 |
江戸時代
(18から19世紀) |
個人
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満面の笑みを浮かべた、恵比寿、大黒天を一つの像としてあらわしたもの。背面には「南無阿弥陀仏」の六文字が記されている。白道は恵比寿大黒天を数多く制作しているが、 |