山梨県立博物館 かいじあむ
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9 城下町の賑わい

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
城下町の成り立ちや役割を理解するために、甲府城築城の目的や甲府城下町の都市計画を紹介します。また、城下町で営まれた武家や町人の生活を紹介します。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
甲府城下町絵図(グラフィック 柳沢文庫) 江戸時代 (原資料 柳沢文庫)   柳沢吉保・吉里が治めている頃(1705〜1734)の甲府城下町を描いた絵図。
甲州道中細見記 安政5年
(1858)
山梨県立博物館   甲州道中を江戸日本橋から甲府まで、甲府から先はそのまま甲州道中を進んで信州へ至る道と、駿州往還を通って身延山、駿河へ至る道程の、宿場や路程、近隣の名所等を記したガイドブック。旅行者が懐にいれて用いるポケットガイドのような形で利用されていたのだろう。
諸国道中商人鑑 文政10年
(1827)
山梨県立博物館   甲州道中内藤新宿から甲府まで、甲府からは駿州往還を通って身延山に至るまでの道程における、各宿場の旅籠や商店を紹介したガイドブック。コンパクトサイズで旅行時の携帯用に作られたものと考えられる。
道中日記 明治3年
(1870)
山梨県立博物館   甲府八日町の菓子屋の大店、升屋に関わる旅の記録。行程や費用の内訳などを記している。江戸・東京への旅は商売が主目的ではあるが、その際にも名所見物や社寺参詣をしていたことがわかる。。
甲州かいだう 文化4年
(1807)
山梨県立博物館   甲州街道をはじめとした身延道、信州街道、伊奈街道などの案内。刊行は江戸の地本問屋である岩戸屋喜三郎。
甲州路諸霊場延嶺順導記(甲州文庫) 天明8年
(1788)
山梨県立博物館   江戸日本橋から「延嶺」こと身延山久遠寺に至る旅程を示した案内書。甲州道中を進み、甲府から身延道を進むルートと、大月から分かれて富士山麓の霊場を巡って身延に向かうルートが示されている。道中の寺院や名所の案内も添えられ、さらに信濃・越後・佐渡などの霊場についても紹介されている。
身延山参詣伊豆鎌倉霊場記(甲州文庫) 明治22年
(1889)
山梨県立博物館   岩窪村(甲府市)にある武田信玄墓所の玉垣を新しく造り直すため、島上条村の石工平蔵がその設計図として描いた図面。
先触状(甲州文庫) 文化3年
(1806)
山梨県立博物館   甲府勤番支配松平定能の配下が甲州道中の宿場に対して、甲府町年寄坂田氏が年始の挨拶を終えて江戸から甲府へ戻る際の移動に用いる人足・馬の数を事前に通知した文書。坂田氏は3泊4日の行程で、八王子・猿橋・勝沼に宿泊する予定となっている。
甲府柳町より内藤新宿まで宿々賃銭帳(市川家資料) 天保5年
(1834)
山梨県立博物館   甲府勤番の医師宇佐美久甫の配下が、甲府から内藤新宿を往復した際に用iた人馬や宿の代金の記録。11月25日〜28日に甲府から内藤新宿へ移動し、帰りは12月15日〜18日に移動、いずれも3泊4日の行程である。人足は3〜4名で馬を用いることもあり、比較的大がかりな移動だったようだ。
甲中遊記 江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   江戸から甲斐国までの旅程と、甲斐国内の様々な名所等を遊覧した際の絵入りの旅日記。文化13年に将軍徳川家斉に献呈された渋江長伯の「官遊紀勝」と酷似した記述を持つ資料。作者は不明だが、長伯の旅行に同行した江戸四谷の絵師・多賀谷酔雪ではないかとみられる。
長沢番所通行手形申請につき一札之事(甲州文庫) 寛文12年
(1672)
山梨県立博物館   甲府八日町の六兵衛が、女性3人の通行手形の発行を町年寄に求めたもの。この女性たちは、信濃国相木村(現長野県南佐久郡北相木村・南相木村)にそれぞれの子どもが住んでおり、そこを経由して善光寺へ参詣するのだという。それにあたり、長沢(現北杜市)に設けられていた口留番所を通過するため、通行手形が必要であった。
甲府役所御用荷物関所手形(甲州文庫) 文久3年
(1863)
山梨県立博物館   甲府役所の御用飛脚を務めていた江戸宝町(東京都中央区)の京屋が、甲府役所の御用荷物運送のため、荷物とその宰領(監督者)の通行を内藤新宿の番所に願い出た文書。定飛脚とは、一定の地点間を、日を定めて往復した飛脚のことで、現在の定期便のような役割を果たした。
商売向につき関所通手形(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   江戸浅草駒形町(東京都台東区)の百助(化粧品商の中島屋か)が、商売のため2名を甲府八日町に向かわせるとして、駒木野(八王子市)の関所に通行を願い出た文書。江戸の商人たちは、甲州街道の要地であった甲府への販路拡大も目指して活動していたことがうかがわれる。
御関所印鑑貼付帖(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   江戸時代の関所には、通行手形発行者の印影(印鑑・判鑑)が保管されていた。通行人から手形を提示されると、印鑑と照合して、手形の真偽を確かめていた。印鑑は一般的に、細長い短冊状の用紙に、印の使用者の名前とその印影が示されている。この帳簿には、甲斐国内外の武士や寺院の印鑑が収められている。
甲府上水木樋   甲府市水道局   木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。
甲府城跡出土鯱瓦(復元品)   山梨県立考古博物館   創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦を復元したもの。
稲荷曲輪出土瓦 豊臣政権期(16世紀) 山梨県立考古博物館
瓦の表面には、甲府城を整備した浅野氏の家紋である「違い鷹の羽紋」がある。
本丸出土花菱紋瓦 江戸時代(17世紀) 山梨県立考古博物館
瓦表面には甲府城主であった柳沢氏の家紋である「花菱紋」がある。
人質曲輪出土桐文様瓦 豊臣政権期(16世紀) 山梨県立考古博物館
瓦表面には豊臣家の家紋である「桐紋」がある。甲府城を整備した浅野氏は、豊臣家の重臣であった。
輪宝 江戸時代(17世紀) 山梨県立考古博物館
地鎮(じちん)のための道具。甲府城稲荷櫓跡から出土した。


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