山梨県立博物館 かいじあむ
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9 城下町の賑わい

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
城下町の成り立ちや役割を理解するために、甲府城築城の目的や甲府城下町の都市計画を紹介します。また、城下町で営まれた武家や町人の生活を紹介します。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
甲府城下町絵図(グラフィック 柳沢文庫) 江戸時代 (原資料 柳沢文庫)   柳沢吉保・吉里が治めている頃(1705〜1734)の甲府城下町を描いた絵図。
峡中広告集 江戸〜明治時代 山梨県立博物館   甲府を中心とした、米屋・呉服屋・魚屋・菓子屋などの商店や旅館や料亭また、病院・公証人(弁護士)とさまざまな広告宣伝チラシ、案内を貼付けた広告集になる。この資料は甲州文庫を蒐集した功刀亀内自ら整理して貼り込みをしたもので、防虫・防湿用に柿の渋を塗った表紙で綴じられている。
菓子袋・先祖代々周回覚 江戸時代 山梨県立博物館   甲府の菓子屋、升屋で使われていた菓子袋とその中に入れられていた帳面。菓子袋の裏面には、大木家で法事帳を入れるのに使用していた旨が記されている。
牡丹亭金升菓子店包紙 江戸〜明治時代 山梨県立博物館   甲府の菓子屋、升屋で使われていた菓子袋。漢詩の後に、「甲府八日町壹丁目 牡丹亭金舛製」と記されている。
菓子袋 江戸時代 山梨県立博物館   甲府上一条町平瀬屋半助の御菓子袋。裏面に墨書があり、廻状受取入れに転用されるか。
徳川綱重書状(甲州文庫) 17世紀後半 山梨県立博物館   甲府藩主徳川綱重(1644-78)が、水戸宰相こと徳川光圀に対して、留守見舞への礼を述べたもの。綱重は3代将軍徳川家光の子であり、兄の4代将軍家綱を支えるべく甲府藩を任され、館林藩の徳川綱吉とともに「御両典」として重きをなしたが、兄たちに先立って延宝6年(1678)年に35歳で没した。
徳川綱豊領内法度并代官仕置定(甲州文庫) 延宝9年(1681) 山梨県立博物館   徳川綱豊(家宣、1662-1712)が甲府藩領の村と代官に出した触書。綱豊は甲府藩主徳川綱重の長男として生まれ、甲府徳川家の2代目として甲府藩主になった。のちに伯父の4代家綱、叔父の5代綱吉の跡を継ぎ、名を家宣と改めて6代将軍に就任する。
綱豊卿より松平美濃守へ引渡目録(甲州文庫) 文化11年(1814) 山梨県立博物館   甲斐国支配が甲府徳川家から柳沢家に交替した際に作成された引継書類。原本は宝永2年(1705)に作成されたとみられ、甲斐国の支配に必要とみなされた情報がまとめられている。内容は検地帳や絵図面の管理に始まり、鮎や紙の運上、宿駅や伝馬、助郷など多岐にわたっている。
甲府様御人衆中分限帳(甲州文庫) 元禄8年(1695) 山梨県立博物館   甲府徳川家の家臣の書き上げ。役職ごとに家臣をまとめ、それぞれについて家紋や禄高を記している。禄高5000石の家老戸田長門守を筆頭に、隠居やお抱え能役者まで、総勢1174名の名前が確認される。なお、そのうち甲府に赴任しているものは70名ほどであった。
甲官便覧 弘化2年(1845) 山梨県立博物館   甲府勤番支配や勤番士・代官など、甲斐の支配に関わった武士の一覧。氏名と役職、禄高が示されており、甲府勤番を中心とした甲斐在勤の武士の状況がわかる。
裏見寒話 巻四(甲州文庫) 宝暦2年(1752) 山梨県立博物館   甲府勤番士の野田成方が、甲斐の地理や史跡名勝等について詳細に記した書物。野田は享保9年(1724)から宝暦3年(1753)まで30年にわたり勤番士として勤め、この間に見聞した内容をまとめたもの。甲府城内や城下町については図も挿入されており、当時の城下町の状況を知ることができる。
勤番士の借金証文(大木家文書) 嘉衛7年(1854)ほか 山梨県立博物館   甲府勤番士が札差を勤めていた大木家に金子を借用した際の証文類。甲府の商家は、本業に加えて勤番士に給与される俸禄米を担保として金子を融通する札差業を行っており、勤番士の生活に欠かせない存在となっていた。
会所日記(十一屋野口家資料) 寛政6年(1794)〜 山梨県立博物館   甲府で札差を務める商家らで組織された会所で作成された業務日誌。これらを読み解くと、お金を貸す側であるにも関わらず、商人たちは武士たちからの理不尽な要求を断りづらい状況にあり、十分な担保のないまま金を貸すことを強いられていた様子がうかがわれる。
懐宝甲府絵図(頼生文庫) 嘉永2年(1849) 山梨県立博物館   19世紀中ごろの甲府城下町と周辺の名所地を描いた図。甲府城を中心に、東は酒折、南は住吉、西は相川、北は武田氏館の範囲の通りや河川等を描く。特に甲府城と甲府勤番士らが居住する武家屋敷は堀と門で囲まれ、城下町東南部の柳町・八日町などの町人地とは空間的に区別されていたことが明確に示されている。
甲府上水木樋   甲府市水道局   木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。
甲府城跡出土鯱瓦(復元品)   山梨県立考古博物館   創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦を復元したもの。
稲荷曲輪出土瓦 豊臣政権期(16世紀) 山梨県立考古博物館
瓦の表面には、甲府城を整備した浅野氏の家紋である「違い鷹の羽紋」がある。
本丸出土花菱紋瓦 江戸時代(17世紀) 山梨県立考古博物館
瓦表面には甲府城主であった柳沢氏の家紋である「花菱紋」がある。
人質曲輪出土桐文様瓦 豊臣政権期(16世紀) 山梨県立考古博物館
瓦表面には豊臣家の家紋である「桐紋」がある。甲府城を整備した浅野氏は、豊臣家の重臣であった。
輪宝 江戸時代(17世紀) 山梨県立考古博物館
地鎮(じちん)のための道具。甲府城稲荷櫓跡から出土した。


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