資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
甲府城下町絵図(グラフィック 柳沢文庫) |
江戸時代 |
(原資料 柳沢文庫) |
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柳沢吉保・吉里が治めている頃(1705〜1734)の甲府城下町を描いた絵図。 |
『山王真形』 |
文政5年
(1822) |
山梨県立博物館 |
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富士山にかかる雲の形や雪の積もり方を解説した資料。二十四節気や雲のかかり方などから、富士山の諸相が多様に描き分けられている。 |
『日本名山図会』 |
文政10年
(1827) |
山梨県立博物館 |
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医師川村錦城が集めた山岳図を谷文晁に縮写させて出版した『日本名山図鑑』(文化元年)の改題本。日本中の名山が墨線で表されている。甲斐の山としては富士と八ヶ岳が描かれている。 |
『富士山道しるべ』 |
万延元年
(1860) |
山梨県立博物館 |
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江戸時代の富士参拝道のうち、吉田口からの参拝案内書。江戸から吉田口、須走口までのルートと、道中の休泊所が記されている。挿図は浮世絵師の歌川貞秀の手によるものだが、貞秀は実際に富士に登ったことがあり、その際の経験が活かされているものと思われる。 |
『百富士 裏不二 武州 相州 甲州 駿州 二』 |
明和4年
(1767) |
山梨県立博物館 |
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河村岷雪が各地から見た富士を百図描き、俳句を添えた版本である。ここに見える構図や発想は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「冨士三十六景」にも影響を与えている。 |
市川御陣場富突案内(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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甲府工町の浅間社が興行主となって市川御陣場(市川三郷町)において富突が行われることを宣伝したもの。頒布される富くじの枚数や当選の種類に応じた当選金額などが細かく記されている。 |
冨札(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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江戸時代に甲斐国内で行われていた富くじ興行において頒布された冨札。興行主や抽選日の印を押した上に番号が書かれ、抽選当日に当選番号が富突(当たり札を錐で突き刺す)などで決められた。 |
浅間社奥行絵図面(甲州文庫) |
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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甲府工町の浅間社が興行主となって市川御陣場(市川三郷町)において行われる富突の会場を描いた図面。御陣場の御宮が会場となり、富突きを行う場所や立会人等の配置が示されている。 |
甲中遊記 |
江戸時代
(19世紀) |
山梨県立博物館 |
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江戸から甲斐国までの旅程と、甲斐国内の様々な名所等を遊覧した際の絵入りの旅日記。文化13年に将軍徳川家斉に献呈された渋江長伯の「官遊紀勝」と酷似した記述を持つ資料。作者は不明だが、長伯の旅行に同行した江戸四谷の絵師・多賀谷酔雪ではないかとみられる。 |
『富士之人穴之双紙』(頼生文庫) |
文化7年
(1810) |
山梨県立博物館 |
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室町末期に成立した御伽草子の一つで、鎌倉時代の武将・新田忠綱が富士の人穴を探検し、地獄や極楽を体験する物語。 |
『富士日記』(甲州文庫) |
文政6年
(1823) |
山梨県立博物館 |
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京都の賀茂別雷神社の祠官であり、国学者・歌人でもあった賀茂季鷹(1754-1841)が残した富士詣の日記。 |
『滑稽富士詣 九』(甲州文庫) |
万延元年
(1860) |
山梨県立博物館 |
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仮名垣魯文(1829-64)作。挿絵は歌川芳虎。御縁年の富士参詣の旅でおこった滑稽話や失敗談を著した挿絵入り版本。 |
本栖番所定書(甲州文庫) |
慶応3年
(1867) |
山梨県立博物館 |
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甲斐と駿河の国境付近に設けられた本栖の口留番所(富士河口湖町)に勤める役人に対し、勤務の心得や取り締まりの方法等を指示した文書。 |
甲府上水木樋 |
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甲府市水道局 |
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木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。 |
甲府城跡出土鯱瓦(復元品) |
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山梨県立考古博物館 |
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創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦を復元したもの。 |
稲荷曲輪出土瓦 |
豊臣政権期(16世紀) |
山梨県立考古博物館 |
県 |
瓦の表面には、甲府城を整備した浅野氏の家紋である「違い鷹の羽紋」がある。 |
本丸出土花菱紋瓦 |
江戸時代(17世紀) |
山梨県立考古博物館 |
県 |
瓦表面には甲府城主であった柳沢氏の家紋である「花菱紋」がある。 |
人質曲輪出土桐文様瓦 |
豊臣政権期(16世紀) |
山梨県立考古博物館 |
県 |
瓦表面には豊臣家の家紋である「桐紋」がある。甲府城を整備した浅野氏は、豊臣家の重臣であった。 |
輪宝 |
江戸時代(17世紀) |
山梨県立考古博物館 |
県 |
地鎮(じちん)のための道具。甲府城稲荷櫓跡から出土した。 |