山梨県立博物館 かいじあむ
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9 城下町の賑わい

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
城下町の成り立ちや役割を理解するために、甲府城築城の目的や甲府城下町の都市計画を紹介します。また、城下町で営まれた武家や町人の生活を紹介します。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
甲府城下町絵図(グラフィック 柳沢文庫) 江戸時代 (原資料 柳沢文庫)   柳沢吉保・吉里が治めている頃(1705〜1724)の甲府城下町を描いた絵図。
甲州打栗進上につき白銀送付状(坂名井家資料) 江戸時代
(18世紀)
山梨県立博物館   大野昌成・中村幸広・武井氏規らが真壁弥四郎に宛てた礼状。甲州打栗の進上に対して白銀1枚を送ると述べる。打栗は皮をむいた栗を蒸してつぶし、平たく煎餅状にした菓子で、甲州の名産として知られていた。
『さかなつくし』 明治44年(1911) 山梨県立博物館   歌川広重(1797-1858)が天保年間(19世紀前半)に作成した連作「魚づくし」を、近代になって折本装のかたちで再版したもの。
『金草鞋十二編身延山道中之記』(甲州文庫) 文政2年(1819)) 山梨県立博物館   十返舎一九作、歌川豊国挿画の滑稽本。江戸の新宿を出て、身延山までに至る道中の各所で起こる出来事を面白おかしく描いた読み物。
不審者取締り協力につき指上ケ申一札之事(甲州文庫) 天和2年(1682) 山梨県立博物館   甲府町奉行から、怪しい者には居場所や食事を提供せず、場合によっては捕縛して報告せよと命じられた甲府工町のそば切り屋やもち屋・茶屋等が、その通りにすると約束したもの。
甲府町酒造石高調帳(甲州文庫) 宝暦5年(1755) 山梨県立博物館   甲府城下町の酒造業者の所在地・屋号と造酒石高を、町年寄山本半左衛門・坂田与一左衛門らが報告したもの。これによれば、甲府ではこのとき22軒の酒屋で1774石余りの米が酒造りに用いられていた。
むろ・生そば代金につき覚(三沢家文書) 江戸時代 山梨県立博物館   「むろ」や生そばの代金2貫572文の勘定書。「むろ」は「くさや」の原材料となるなど、古くから干物として食べられてきたムロアジのことであろうか。生そばは混ぜ物のない、そば粉だけで打ったそばのことをいった。
清酒・賢飩・煮売商売につき乍恐書付を以奉願上候(甲州文庫) 寛政7年(1795) 山梨県立博物館   甲府広小路の与七が、清酒・賢飩(けんどん)・煮売(にうり)商売の許可を求めた申請書。賢飩は慳貪とも書き、うどんやそばなど、1人前の食事を丼などに盛り切りで提供する店のこと。煮売は飯と煮魚など調理済みの惣菜を提供する店をいった。
賢飩・煮売商売用水出入一件につき乍恐書付を以奉願上候(甲州文庫) 寛政8年(1796) 山梨県立博物館   柳町四丁目で屋台を出していた新八が、同じ柳町の権兵衛の店の前の井戸を使おうとして拒まれ、道具類を道に投げ出されたことに対して処罰をしてくれるように訴えたもの。そばをゆでたり、魚や野菜を煮たりするのに水は不可欠であり、その確保をめぐって争いが発生することも珍しくなかった。
清酒・煮買・賢飩商売につき乍恐書付を以奉願上候(林貞夫氏旧蔵資料) 天保3年(1832) 山梨県立博物館   甲府広小路の喜八が、清酒・煮売・賢飩商売の許可を求めた申請書。煮売も賢飩もともに屋台に火種をもっており、その不始末から火事を起こすことも多かったため、幕府や領主はたびたびその営業を規制した。
鮪など代金につき覚(三沢家文書) 江戸時代 山梨県立博物館   鮪や鬢長(びんなが)、稚鰤(わらさ)などの代金2貫78文の勘定書。鬢長は「びんちょう」とも呼ばれ、小型の鮪をいう。「かつう」は不明だが、鰹のことであろうか。いずれも1人前とみられる1本が100文程度で提供されており、日常的に食べられていたと考えられる。
長芋・鮪代金につき覚(三沢家文書)) 江戸時代 山梨県立博物館   長芋と鮪の代金1貫350文の勘定書。鮪は51本が1貫文で取引されており、会合などのために大量に仕入れて提供したものであろうか。差出人の伊勢屋は石和宿の宿屋とみられ、大量の需要にこたえられる量の鮪が石和で流通していたことがわかる。
稚鰤・鮪代金につき覚(三沢家文書) 江戸時代 山梨県立博物館   稚鰤・鮪の代金1貫160文の勘定書。稚鰤は成魚になる前の鰤を指し、魚偏に夏と書くこともある。ここでは鮪とほぼ同じ価格で提供されていることから、刺身として食べられたものと考えられる。
甲府城出土瓦(一部) 江戸時代 山梨県立考古博物館   甲府城で使用されていた瓦。
甲府上水木樋   甲府市水道局   木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。
甲府城跡出土鯱瓦(復元品)   山梨県立考古博物館   創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦を復元したもの。
甲府城内指置候武具覚 享保9年(1724)

山梨県立考古博物館

  初代甲府勤番支配の有馬純珍・興津忠閭が、甲府城内にある鉄砲、弓、槍などの数を報告したもの。これによれば、甲府城には鉄砲80挺、弓30張、槍30本に火薬(煙硝)300貫目(約1,125kg)が備蓄されていた。
稲荷曲輪御櫓御蔵御道具員数帳 享保12年(1727) 山梨県立考古博物館   甲府城の武具奉行であった石川兵右衛門・落合長十郎が、甲府城内の稲荷曲輪に設置された備品を書き上げたもの。同心具足200領、槍100筋、鉄砲432挺などが挙げられている。
甲府御城付

江戸時代(19世紀)

山梨県立考古博物館   甲府城に関する記述をまとめたもの。享保9年(1724)の記事が多いが、最も新しい記述は安政6年(1859)の内容である。甲府勤番や城下町に関する多様な記述は、江戸時代の甲府を知るために欠かせない情報である。


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