山梨県立博物館 かいじあむ
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9 城下町の賑わい

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
城下町の成り立ちや役割を理解するために、甲府城築城の目的や甲府城下町の都市計画を紹介します。また、城下町で営まれた武家や町人の生活を紹介します。

展示資料 
※新型コロナウイルス感染拡大防止のためご観覧いただけない資料を、色付きで示しております
資料名
時代
所有
指定
資料解説
甲府城下町絵図(グラフィック 柳沢文庫) 江戸時代 (原資料 柳沢文庫)   柳沢吉保・吉里が治めている頃(1705〜1734)の甲府城下町を描いた絵図。
甲府上府中組火消法被并纏図(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   甲府城下町の上府中で用いられていたと考えられる火消組の法被と纏の図。付箋には寛文元(1661)年のものとあるが確証はない。法被は模様が黄変しているが、「白地ニ模様紺」と書き込みがあるため、もともとは紺色に塗られていたものとみてよいだろう。全体に丸と四角を交互に並べ、背中の中央に上府中の「上」の字をあしらっている。
覚(火の元心得につき、甲州文庫) 天和2年(1682) 山梨県立博物館   甲府の町年寄坂田与市左衛門が、甲府城下町の各町に対し、火の元の取締りを命じたもの。火鉢などの灰の取扱いを厳重にし、くわえたばこや灯火についても家の持主である大家が責任をもって管理するように命じている。
郭内出火之節定書(甲州文庫) 元文3年(1738) 山梨県立博物館   甲府勤番支配が甲府城内で火災が発生した場合の対応を指示したもの。例えば、これまでは消防を当番制にしていたが、急な出火に対応できなかったため、今後は当番制を廃止し、勤番士による組合を組織して、火元近くのものが駆けつけ次第消火にあたることとした。また、城外での火災については、風向きにより城内への延焼の恐れがある場合に限り防火体制を敷くこととしている。
甲城暦代記(甲州文庫) 文政11年
(1828)
山梨県立博物館   甲府城の来歴と、甲斐国の支配者の変遷をまとめたもの。本資料では、甲府築城を天正12年(1584)に徳川家康が行ったとしている。武田勝頼までの武田家の系譜や、織田信長から柳沢吉保に至る領主の変遷を示したうえで、柳沢家支配期の城下町の再編について述べている。
甲府御城草苅請負帳(甲州文庫) 寛保3年
(1743)
山梨県立博物館   下横沢町の忠左衛門らが請け負った、甲府城の草刈りの記録。甲府城は幕府の甲斐国支配の拠点であり、権力の象徴でもあったことから、美観にも注意が払われ、その維持は住民への委託によって行われていた。
御城内道具掛御用につき差出申一札之事(甲州文庫) 延享4年
(1747)
山梨県立博物館   細工町の清兵衛ら研ぎ師たちが、甲府城内の道具の手入れを請け負ったときの証文。軍事拠点でもある甲府城には、決まった数の刀や甲冑、鉄砲などの武具が備え付けられていた。それらを含む道具類のメンテナンスも、城下町の住民に課せられた重要な任務であった。
甲府城下諸色相場書(甲州文庫) 宝暦6年
(1756)
山梨県立博物館   甲府城下町の米や大豆、酒、灯油など様々なものの値段を書き上げたもの。上級な米は1両につき1石2升7合、上級の酒は1升につき銀1匁7分であった。紙や麻、煙草など、甲斐国内の産物も盛んに取引されていたことがわかる。
甲府御城下上下府中惣町草高人足書上帳(頼生文庫) 江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   甲府城下町の町ごとに住民の数をまとめたもの。甲府城下の49の町に878人が住んでいたとするが、ここに数え上げられているのは土地と家屋を所有する家持の当主のみで、その家族や使用人は含まれず、また借家人も含まれていない。甲府城下町には町人だけで1万2千人ほどが居住していたと考えられている。
甲府上府中町々中連判定書(頼生文庫) 宝暦14年
(1764)
山梨県立博物館   甲府城下町の町名主たちが連印で届け出た定書。公事出入(訴訟)の取扱いや、出訴に伴う経費の扱いなどについて取り決めている。訴訟を起こした場合には、甲府城への呼出しに加え、江戸への呼出しも想定されており、それぞれ必要な経費は町が負担することとされている。
谷村御蔵囲籾詰替につき覚(甲州文庫) 寛延元年
(1748)
山梨県立博物館   四方津村(現在の上野原市)の名主たちが、谷村代官に対して、谷村城の蔵に収められていた囲籾を新しいものに入れ替えることを請け負ったもの。ここでは6斗6升7合入りの俵で14俵、都合9石3斗3升8合を2年がかりで入れ替えることとされている。幕府は、天和3(1683)年以降、幕領や諸藩に囲米を命じ、非常事態への備えを行わせた。
秋元氏御略系(甲州文庫) 江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   3代70年余りにわたって谷村藩を治めた秋元家の系図。秋元家は戦国時代には深谷上杉氏、後北条氏を経て、徳川氏に仕えた。鳥居家が改易された後、谷村藩は家康の近習出頭人として知られる泰朝に与えられた。その孫である喬知が川越藩に移されると、谷村藩領は幕府の直轄領となった。
系図書扣帳(甲州文庫) 文政5年
(1822)
山梨県立博物館   谷村城下町を構成した下谷村の町年寄や名主など、主だった人々の家の由緒をまとめたもの。その多くは年寄拝命や検地の案内など、谷村藩との関係を強調している。下谷村は文禄検地で上谷村と分けられ、幕府の直轄領となった後には、上・下谷村の境目に谷村陣屋が設けられた。
人質曲輪出土桐文様瓦 豊臣政権期
(16世紀)
山梨県立考古博物館   豊臣家の五三桐紋をかたどった瓦。秀吉が直接築城に関わった姫路城や大坂城から出土したものと類似する特徴を備えており、甲府城が豊臣政権から重視されていたことがわかる
甲府上水木樋   甲府市水道局   木製の上水管。甲府城下町では全国的にも早い時期に上水網の整備がなされ、先進的な都市づくりが進められていた。
甲府城跡出土鯱瓦(復元品)   山梨県立考古博物館   創建当時の甲府城にあった金箔付きの鯱瓦を復元したもの。
甲府城内指置候武具覚 享保9年
(1724)

山梨県立博物館

  初代甲府勤番支配の有馬純珍・興津忠閭が、甲府城内にある鉄砲、弓、槍などの数を報告したもの。これによれば、甲府城には鉄砲80挺、弓30張、槍30本に火薬(煙硝)300貫目(約1,125kg)が備蓄されていた。
稲荷曲輪出土瓦 豊臣政権期
(16世紀)
山梨県立考古博物館   浅野家の違鷹羽紋をかたどった瓦。浅野長政・幸長父子は文禄3年(1594)から甲斐国を支配し、甲府城の整備を行った。
本丸出土花菱紋瓦

江戸時代
(18世紀)

山梨県立考古博物館   柳沢家の花菱紋をかたどった瓦。柳沢吉保は宝永元年(1704)に甲府城と甲斐国の国中三郡を拝領し、甲府城の修復・再編を行った。
輪宝

江戸時代
(17世紀)

山梨県立考古博物館   甲府城跡の稲荷櫓台から出土したもの。寛文年間の甲府徳川家による甲府城修復の際、地鎮具として埋納されたと考えられている。


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