山梨県立博物館 かいじあむ
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5 信仰の足跡

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 県内各地に残る信仰の足跡や文化財を紹介しながら、その背景に信仰を広めた祖師たちと信仰を育む人々、寺社を支える庇護者たちの姿を見いだし、三枝氏や甲斐源氏の信仰、山岳信仰、鎌倉新仏教など甲斐に根付いた信仰とその文化について考えます。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
土馬   甲府市教育委員会   金峰山頂にそびえる五丈岩周辺で見つかった土馬。土馬は、日照りなどの災害を乗せて払い去るなどの祈りが込められたようで、雨乞いなど水との信仰の関わりが深いと言われる。
金峰山出土品(釘、古銭、銅盤、数珠玉) 古代-
平安時代
甲府市教育委員会
 
金峰山山頂付近から採集された資料。水の信仰に関わる土馬、水晶玉などが含まれる。
甲斐国金桜神社御嶽山晩春之図(甲州文庫) 江戸時代以降 山梨県立博物館
甲府市にある金桜神社より、金峰山山頂に至る登山道をしるしたもの。
富士山牛玉 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館   山頂に来迎する阿弥陀三尊像の姿をあらわした絵札。中央の蓮華坐上には「富士山」の文字、その左右に浅間神の神使いである猿を配する。
富士山五合五勺経ヶ岳出土経巻(複製品)
※二枚のうち一枚
原資料(平安時代) 山梨県立博物館   「仏説普賢菩薩行法経」が朱書で書写されたもの。吉田口登山道五合五勺から出土したもので、平安時代に埋納されたと考えられている。
金峰山曼荼羅
(10月22日〜11月17日)
室町時代
山梨県立博物館   上部に吉野の山並み、社殿、八大童子を描き、その下には、蔵王権現を中心に吉野の祭神と役行者を規則的に配した吉野金峰山曼荼羅
甲斐国金桜神社御嶽山晩春之図(甲州文庫)
(11月19日〜12月16日)
江戸時代
(18-19世紀)
山梨県立博物館   甲府市にある金桜神社より、金峰山山頂に至る登山道をしるしたもの。掛軸。
役行者像(複製品) 平安〜
鎌倉時代
(12-13世紀)
山梨県立博物館(原資料は円楽寺蔵)
原資料
山岳修験の祖、役行者の姿を表現した彫像。奈良時代の役小角は、無実の罪で伊豆に流された折、夜になると富士に至って修行をしたとの伝承をもち、富士山修験とゆかり深い人物である。本像は多く残る役行者像の中でも現在確認される最古の像。すさまじい憤怒の相が特徴的。
愛染明王坐像(複製品) 平安時代
(12世紀)
山梨県立博物館(原資料は放光寺蔵)
原資料
甲斐源氏安田義定が現在の地に放光寺を創建した際に遡る造像と考えられる、天に向かって矢を射放つ瞬間の姿をあらわした、「天弓愛染」と呼ばれる像。
甲斐勝沼柏尾経塚出土品 銅経筒 (複製品) 康和5年
(1103)
山梨県立博物館(原資料は東京国立博物館蔵)
原資料 ◎
大善寺の東方、柏尾山白山平から出土した銅製経筒。筒身に制作に関わった僧寂円や三枝一族の名が刻されている。
韋駄天立像 南北朝時代 円光院蔵
(寄託)
両手で合掌し、兜をかぶる韋駄天立像。禅宗寺院の厨房に安置されることが多い。兜内部に記された銘により、武田氏縁の像と考えられる。


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