山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) 山梨県立博物館   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
後三年合戦絵巻 上巻 寛政12年
(1800)
山梨県立博物館   平安時代における東北地方の戦乱として著名な後三年合戦(1083〜87)の様子を描いた絵巻物。兄源義家(八幡太郎)を助けるために参陣した甲斐源氏の祖・源義光(新羅三郎)の活躍も各所に描かれる。
武田信玄書状(村松定史家資料) 永禄12年
(1569)か
山梨県立博物館   武田軍が駿河に侵攻するとのうわさによって根原(静岡県富士宮市)の住人が退去したことにつき、武田軍侵攻の情報はフェイクニュースであるから、安心して村に戻るよう働きかけて欲しいと依頼した信玄の書状。根原は中道往還の甲駿国境付近にある集落で、甲斐と駿河を結ぶ交通の要地であった。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
甲州九一色郷本栖村絵図 天保4年
(1833)
山梨県立博物館   天保4年、本栖村(富士河口湖町)が、釜額村(現身延町)との山林の用益に関する訴訟で提出した絵図。湖の南にある龍が嶽と金山の間に「ハシタ坂」があり、甲斐源氏が戦った「鉢田」の故地とみられる。また北東には「城跡」と伝えられる場所があり、武田氏が甲駿国境に設けた本栖城の存在を示している。
吾妻鏡 寛永3年
(1626)
山梨県立博物館   鎌倉幕府が編さんした幕府の歴史書。甲斐源氏の動向についても数多くの記録が残され、源平合戦における活躍、源頼朝によって粛正される一族、幕府の重鎮となる武田・小笠原氏などの様子をうかがうことができる。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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