山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) 山梨県立博物館   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元) 山梨県立博物館(原資料:菅田天神社) 原資料:国宝 甲斐源氏の祖源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた楯無鎧の復元品。紋鋲などに鍍金が施されている。
武田信玄書状 永禄12年(1569) 山梨県立博物館   武田信玄が、常陸国(茨城県)の戦国大名佐竹義重に属していた梶原政景に送ったと考えられる書状。永禄12年(1569)頃、信玄は小田原の北条氏康・氏政と対立する一方、政景とその実父の太田資正をとおして、佐竹氏、安房(千葉県)の里見氏との連携を図った。
上杉謙信書状 元亀3年
(1572)
山梨県立博物館   上杉謙信が梶原政景に送ったと考えられる書状。元亀3年(1572)頃、謙信は、武田信玄・北条氏政と敵対する一方、常陸国の佐竹義重、会津(福島県)の蘆名盛氏との連携を模索しており、その仲介を梶原政景に依頼した。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
甲州古府中古城之図 江戸時代 山梨県立博物館   武田氏滅亡後における躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の縄張り(城郭内部の平面図)を描いた絵図。
武田家系図(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   武田信玄から始まり、信玄の次男信親(龍芳)の子孫で江戸幕府の高家衆となる系統を記した系図。信親の曽孫信興の時に、柳沢吉保の支援によって高家衆に列せられ、家名は現代まで続いている。
甲越信戦録 天保7年
(1836)
山梨県立博物館   川中島の戦いについて、上杉方の記録や、武田方の『甲陽軍鑑』、地元の伝承などをもとに記した記録。作者未詳だが、川中島の地誌に詳しい人物によるものと考えられる。内容はすべてをそのまま信頼することはできないが、両角虎光や山本勘助の墓所の伝承など、独自の考証による記録もある。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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