山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「甲斐を駆ける武士たち」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
(原資料 大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)

(原資料 熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
(原資料 個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
武門便幼 宝暦7年
(1757)
山梨県立博物館
『甲陽軍鑑』などを素材として、武田氏家臣の活躍に関する部分を絵巻風に描いたもので、幼年者向けに武道の心得を説くものとして作られた。全三巻の下巻には、武田氏滅亡後、武田旧臣が徳川家康に仕えた際に提出した起請文の写しがあり、家康の命で井伊直政に附属した旧臣の名前も列記されている。
徳川家朱印状写(甲州文庫) 天正10年(1582) 山梨県立博物館   徳川氏が古屋兵部助に対し、甲斐国上手郷・小笠原郷(北杜市)などの本領を申請どおり安堵した朱印状。井伊直政が文書の担当者(奉者)となっている。徳川氏に仕えていた直政は、武田氏滅亡後、武田旧臣たちの所領安堵を多数担当しており、これが徳川家臣として初めての本格的な働きとなった。
徳川家朱印状写(甲州文庫) 天正11年(1583) 山梨県立博物館   徳川氏が保科喜右衛門に対し、甲州万力の所領などを給付した朱印状。井伊直政が文書の担当者(奉者)となっている。徳川氏は天正10年8月〜翌年3月にかけて、甲斐の武田旧臣に対する所領安堵・給付の朱印状を多数発給し、旧臣たちの多くを召し抱えた。直政は朱印状を担当した徳川家臣の中でも特に多くの朱印状を担当している。
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) (原資料持明院)   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
祝いのお膳
※10月15日まで展示
江戸時代 山梨県立博物館
 
『甲陽軍鑑』の「御献立之次第」をもとに再現した本膳料理。本来は7つの膳と菓子からなる。献立の内容より安土桃山から江戸時代初期頃に武家の婚礼に際して供されたと考えられる。
曽我物語図屏風
※10月16日から展示
江戸時代 山梨県立博物館   『曽我物語』など、曾我兄弟の仇討ちを題材として描いた屏風。江戸時代前半の絵師岩佐又兵衛(1578〜1650)の画風を伝えており、又兵衛工房周辺において制作されたものと考えられる。左隻には富士山麓の源頼朝宿所付近で曽我兄弟が仇討を遂げる場面が描かれる。
『甲陽軍鑑』巻十六「御献立之次第」(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   武田信玄の事績を中心に記した書物のうち、当時の饗宴料理の献立を記した巻。ただし本巻は甲陽軍鑑成立時には存在せず、江戸時代初期に刊行される際に追加されたものと考えられる。献立の内容からは、戦国時代〜江戸時代初め頃の、身分の高い武家に関わる料理と推定される。
孫子の旗(復元品) 室町時代 (原資料 恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 (原資料 恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。
 

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