山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) 山梨県立博物館(原資料:持明院)   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元) 山梨県立博物館(原資料 菅田天神社)
原資料
国宝
甲斐源氏の祖源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた楯無鎧の復元品。紋鋲などに鍍金が施されている。
武田晴信願文(冨士御室浅間神社文書) 弘治3年(1557) 冨士御室浅間神社(寄託)
武田晴信(信玄)が、相模の北条氏政に嫁いでいた娘(黄梅院)の安産を祈願した文書。この願いが叶った暁には、船津(富士河口湖町)の関所を開放することを約束している。信玄は黄梅院が懐妊すると、たびたび浅間神社に願文を奉納して安産を祈願した。
富士川大合戦図(甲州文庫)
(展示期間 6月24日〜7月27日)
江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   戦国時代に駿河今川氏と相模北条氏が富士川を挟んで戦った際に、今川方の益下(松下)氏に属していたある若武者の活躍を描いた図。その若武者とは後の羽柴秀吉のことで、秀吉の伝記『太閤記』の記述をもとに描いたとみられる。
武田信玄出陣之図(甲州文庫)
(展示期間 7月29日〜8月24日)
江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   富士山に向かい、武田軍が進軍している様子を描いた錦絵。筆者の歌川芳虎は歌川国芳の弟子で武田信玄を扱った錦絵を多く残した。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
江尻城絵図(武田甲斐国領土出城見取図のうち)(頼生文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   駿河江尻城(静岡市清水区)の縄張りを描いた図。江尻城は武田氏による駿河侵攻の際に築城・再興された城で、武田氏による駿河支配の拠点のひとつとして機能するとともに、海上交通や水軍のとの関りも考えられる。絵図では巴川から水を引いて堀を造るなど、地形を活かした城の構造が見て取れる。
吾妻鏡 寛永3年(1626) 山梨県立博物館   鎌倉幕府が編さんした幕府の歴史書。甲斐源氏の動向についても数多くの記録が残され、源平合戦における活躍、源頼朝によって粛正される一族、幕府の重鎮となる武田・小笠原氏などの様子をうかがうことができる。
武田晴信判物(広済寺文書) 天文17年(1548) 山梨県立博物館   武田晴信(信玄)が広済寺(笛吹市)の潤仲和尚に対し、本寺である向嶽寺(甲州市)の住持職を務めるよう命じた文書。潤仲が向嶽寺住持となったことは、「塩山向嶽禅庵小年代記」にも記録がある。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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