山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元) - (原資料 菅田天神社)
原資料:国宝
甲斐源氏の祖源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた楯無鎧の復元品。紋鋲などに鍍金が施されている。
武田晴信像(複製) 室町時代
(16世紀)
(原資料持明院)   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
飾馬図 江戸時代 山梨県立博物館   工芸的な鞍と鐙をつけた馬が8頭描かれている。それぞれの鞍の名称が墨書されており、馬の装飾の図鑑となっている。このうち犬追物や流鏑馬などの儀礼では、水干鞍が用いられることが多かった。
穴山信君書状 永禄12年(1569) 南松院(寄託)
武田氏御一門衆の穴山信君が南松院(身延町)に対し、松岳院(南部町)を末寺として寺役を免除するとともに、駿河で信君が拝領した領地の中から一か寺を寄進することを伝えた書状。南松院は信君生母(信玄実姉)の菩提寺として創建された寺院である。
小笠原流故実伝書 天和2年(1682) 山梨県立博物館   中近世における武家故実・典礼の規範の一つである小笠原流礼法の免許状。婚礼の調度に関わる礼法と、鷹狩の獲物となった雁や鶴の贈答に関わる礼法について記されている。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
吾妻鏡 巻13 寛永3年(1626) 山梨県立博物館
鎌倉幕府が編さんした幕府の歴史書。源平合戦における活躍など、甲斐源氏の動向についても数多くの記録が残されている。展示は建久4年(1193)3月、源頼朝が御家人を率いて下野・信濃へ狩りに出発した時の記録。弓馬に長じ、頼朝の信頼厚い22人が選ばれ、弓矢を持つことが許された。そのメンバーの中に、武田信光・小笠原長清の名も見える。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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