山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) 山梨県立博物館   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元) 山梨県立博物館(原資料:菅田天神社) 原資料:◎ 甲斐源氏の祖源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた楯無鎧の復元品。紋鋲などに鍍金が施されている。
武田家朱印状(天正4年4月7日付、祢津清次郎あて) 天正4年
(1576)
山梨県立博物館   戦国大名武田家が、甲府の職人祢津清次郎に対して、御細工の奉公と御留守の番役を勤める代わりに、宿に課せられた御普請役や夜廻りの番役等を免除することを認めた朱印状。
武田二十四将図(甲州文庫) 江戸時代か 山梨県立博物館   武田氏ゆかりの寺院である棲(栖)雲寺(甲州市)と常光寺(韮崎市)が製作していた武田二十四将図。絵はほぼ同一のものだが、武将の名称が一部入れ替わっている。それぞれ、参拝者への記念品などの形で頒布されていたのだろう。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
小田原衆所領役帳(高室家資料) 江戸時代写 山梨県立博物館   戦国大名北条氏が永禄2年(1559)に作成した、一族・家臣の知行高を記した帳簿。この中には「他国衆」として「小山田弥五郎」の知行分も記されている。この人物は武田氏の従属国衆である小山田信茂のこととみられ、小山田氏が武田氏と北条氏の交渉を担当する取次であったことに対する、北条氏からの知行給付(取次給)の記録とみられる。
大般若波羅蜜多経 巻第四百五十八 貞治4年
(1365)
山梨県立博物館   甲斐国の源義冬(小笠原義冬)が、貞治4年(1365)に出羽国の満福寺(現秋田県湯沢市)で書写した経典。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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