山梨県立博物館 かいじあむ
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6 甲斐を駆ける武士たち
 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 古代山梨の豪族三枝氏や、常陸国から甲斐国に移り住んで牧を基盤に発展し、全国に展開した甲斐源氏の活躍を紹介し、山梨の歴史が山梨内外の人々の活躍と結びつきの中でつくられてきたことを明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
武田晴信像(複製) 室町時代(16世紀) 山梨県立博物館   高野山における甲斐国の宿坊であった持明院に伝わる武田晴信(信玄)の肖像画。
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元) 山梨県立博物館(原資料:菅田天神社) 原資料:◎ 甲斐源氏の祖源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた楯無鎧の復元品。紋鋲などに鍍金が施されている。
※体験工房案内所附近に展示
信玄公御屋形図 江戸時代 山梨県立博物館   武田三代の時代に、躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)にあったといわれる建物の配置を描いた絵図。館の主郭部の構造をうかがうことができる。
武田晴信感状 弘治3年(1557) 個人蔵(寄託)  市 弘治3年2月の信濃葛山城(長野県長野市)の攻略に戦功のあった三井助七郎に対し、武田晴信(信玄)がその働きを称えて出した古文書。葛山城は信濃善光寺付近にある上杉方の拠点だったが、武田軍が攻略したことによって、川中島合戦(第三次)が勃発する。
関東下知状(複製) 応長元年
(1311)
山梨県立博物館(原資料:大善寺)
原資料
焼失した大善寺の古文書を確認するため、鎌倉幕府が深沢郷(甲州市)の地頭である逸見氏、武田氏、野呂氏に尋問し、執権金沢貞顕が改めて寺の運営を承認した古文書。
『長寛勘文』写本(複製) 江戸時代
(17世紀)
山梨県立博物館(原資料:熊野神社)
原資料
三枝守政による八代荘乱入をめぐって争われた熊野社と甲斐守藤原忠重との裁判に関する勘文(意見書)をまとめたもの。裁判では、熊野社と伊勢神宮の祭神が同体であるかが問題となり、熊野社による八代荘支配が認められ、忠重ほかが処罰された。
銅製経筒及び付属品(複製) 建久8年
(1197)
山梨県立博物館(原資料:個人蔵)
原資料
江戸時代に秋山経塚(南アルプス市)から発見された経筒ほか。源光経一族が施主となり作成したもの。甲斐源氏の秋山光朝の供養のため奉納されたと考えられている。
江尻城絵図(武田甲斐国領土出城見取図のうち)(頼性文庫) 江戸時代 山梨県立博物館   駿河江尻城(静岡市清水区)の縄張りを描いた図。江尻城は武田氏による駿河侵攻の際に築城・再興された城で、武田氏による駿河支配の拠点のひとつとして機能するとともに、海上交通や水軍のとの関りも考えられる。絵図では巴川から水を引いて堀を造るなど、地形を活かした城の構造が見て取れる。
甲陽軍鑑 巻一 江戸時代か 山梨県立博物館   武田信玄の事績を中心に記した書物のうち、甲府盆地の湖水伝説について言及した部分。かつて湖だった甲府盆地を、上条地蔵菩薩(国母稲積地蔵)が切り開いて平地を生み出した。この地蔵菩薩は信虎により甲府に建てられた御堂に安置され、「水去りて土と成る」にちなみ法城寺と名付けられたという。
孫子の旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。古代中国の兵法書『孫子』の文言が記されており、「風林火山」で知られる。
諏訪神号旗(復元品) 室町時代 山梨県立博物館(原資料:恵林寺)
原資料
武田信玄が戦陣で使用したと伝わる旗。信玄が軍神である諏訪大社(長野県)を崇拝していたことがわかる。


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