山梨県立博物館 かいじあむ
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13 江戸文化の往来

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 甲斐は江戸に近く、物流や人々の往来が活発で、常に最新の江戸文化が流入しました。往来した人々による記録、甲斐に残された書画、学問や文芸などを紹介し、武士や町人がそれらを育み、甲斐に花開かせていった様子を明らかにします。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
青梅小禽図 明治時代以降 山梨県立博物館   青梅は、まだ熟していない青くて硬い状態の梅の実のこと。本作では、シンプルな色使いで表された梅の実の合間に、可愛らしい雀の姿を確認することができる。なお、村松雲外は明治時代に活躍した日本画家。滋賀県生まれで森寛斎に師事していた。
蓮鷺図 慶応3年
(1867)
山梨県立博物館   作者の日根対山(1811〜69)は大阪の人で、はじめ土佐派を学び、儒者貫名海屋を知って南画を志した。詩書に秀で、幕末の関西で活躍した。三枝雲岱や中丸精十郎、野口小蘋ら山梨ゆかりの画家もその門人であったが、対山は海屋を通じて甲府の野口正忠と知り合ったといい、山梨の画家との関わりもこれを背景として生じたと伝えられる。
老松叭哥鳥図 江戸時代 山梨県立博物館   江戸中期の狩野派の筆による、余白と墨の微妙な濃淡によってあらわされた落ち着いた作品でり、近世狩野派の装飾的で簡潔な画風により明るく柔和な表現となっている。なお、叭哥鳥は中国の椋鳥科の鳥で、舌を切ると人や他の鳥の声をまねるというが、その名は飛翔する時に翼の白い模様がGの字に見えることに由来するという。
猿猴図
明治時代以降 山梨県立博物館   作者の望月金鳳(1846〜1915)は、大阪出身の画家で、明治時代に活躍した。北海道庁に勤めた経験があり、明治23年に東京に出てから画業に専念したという。花鳥や動物を能くし、とりわけ狸を描くことに秀でる。本作に描かれた猿はつぶらな瞳が愛らしく、どこか儚げな印象すら与えている。

伽話カチカチ山図

明治時代以降 山梨県立博物館   尾形月耕(1859〜1920)は明治から大正にかけて活躍した日本画家。独学で絵を学び、輸出用七宝焼の下絵等を描いた他、新聞の挿絵でも活躍した。本作は昔話の「かちかち山」が題材となっており、うさぎが狸の背負った薪に火をつけた場面が描かれている。
猿橋宿絵図
※6月26日から8月26日まで展示
文化3年
(1806)
都留市
『甲斐国志』編纂の際に提出された猿橋宿(現大月市)の絵図。猿橋宿は桂川に懸かる名勝「猿橋」に由来し、甲州道中の要衝に位置する宿場である。猿橋は遅くとも室町時代には記録にその名が見え、架け替えを行いながら現在まで維持されている。
宮谷村絵図
※8月28日〜10月22日展示
文化3年
(1806)
都留市
『甲斐国志』編纂の際に提出された宮谷村(現大月市)の絵図。宮谷村は甲州道中鳥沢宿・猿橋宿のほぼ中間に位置し、百蔵山(図の左上)南麓に広がる平地が村の中核となっている。中心部分に比べ、山間部に入会関係などを詳しく書かれている点は注目される。
甲斐国志(甲州文庫) 江戸時代 山梨県立博物館
江戸時代の「山梨県史」。幕府より全国に国史の編纂が命じられ、甲斐国は甲府勤番支配の松平定能と、内藤・森嶋・村松の地元の学者によって進められ、11年後の文化11年(1814)に完成し幕府に献上された。その写し。
浅間神社ならびに富士山絵図 文化3年
(1806)
都留市
『甲斐国志』編纂に携わった森嶋家に伝わる資料だが、村絵図とは趣を異にする。中央上部に三峯の富士山を、その麓に北口の浅間神社を描き、その間を参詣道が通る。周囲には多くのマルビ(富士山の溶岩)が描かれている点も特徴的。また、「古吉田」「城山」など、移転以前の吉田に関わる注記があることも興味深い。


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