山梨県立博物館 かいじあむ
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13 江戸文化の往来

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 甲斐は江戸に近く、物流や人々の往来が活発で、常に最新の江戸文化が流入しました。往来した人々による記録、甲斐に残された書画、学問や文芸などを紹介し、武士や町人がそれらを育み、甲斐に花開かせていった様子を明らかにします。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
富士山之圖 江戸時代 山梨県立博物館   水戸藩士の大場維景(これかげ)が富士登山をした際の様子を描いた「富岳真図」の写し。原本は失われてしまったが、いくつか写本が作られたことがわかっており、おそらく本資料はその内の1点にあたる。
冨士山絶頂之圖 江戸時代 山梨県立博物館   富士山頂の様子が表された絵図。東西南北の記載もあるが、山梨側にあたる北口が手前に描かれていることがわかる。釈迦ヵ岳や剣ノ峰など、山頂の要所が記されている。
冨士山頂上八峯内院並諸国遠見図 明治10年
(1877)
山梨県立博物館   富士山頂を表した絵図。明治になってから、神仏分離・廃仏毀釈運動が高まりを見せるなかで、「富士山大掃除」とも呼ばれる運動の末、富士山中から仏教色が排除されることになった。本図は「富士山大掃除」後に出されたもので、例えば「薬師」を「久須志」にするなど、仏教敵な名称が置き換えられている。
冨士山八方之繪圖 江戸時代 山梨県立博物館   富士山を俯瞰的に描き出した絵図。中央に山頂が配され、裾野が広がる様が見てとれる。なお、作者は北口吉田口の小林信定なる人物だが、作者が山梨側の人間であることから、本図には北口本宮冨士浅間神社の詳細が描かれるなど、山梨よりの内容になっている。
大日本富士山絶頂之図
(9月23日〜10月20日)
慶応元年
(1865)
山梨県立博物館   富士山頂のお鉢巡りの参拝ルートを描いた錦絵。右方に釈迦ヶ嶽、金明水のほか、吉田口からの登り口が見える。また左方には剣ヶ峰、大日堂、銀名水に加え、大宮からの登り口が描かれている。お鉢巡りをする人々の姿も緻密に表現されており、鳥居前で伏拝する人や、賽銭を火口に投げ入れる者まで、丁寧な筆致で表されている。
富士山絶頂之図 安政6年 (1859) 山梨県立博物館   富士山火口部分を俯瞰し、剣ヶ峰や駒ケ岳、釈迦の割石などの地形的特徴や、村山拝所、大日堂など祭祀の場所、茶屋、石室、参道などを詳細に描き、色紙型に名称を記している。60年に一度の御延年前年の富士信仰の状況を記録した資料。
千円札 令和6年
(2024)
山梨県立博物館   令和6年(2024)7月3日に改刷された3券種のうち、AA000009AAの若い記番号が振られた千円札。表面には北里柴三郎が、裏面は浮世絵師、葛飾北斎による「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をもとに、デザインがなされている。
秋山村絵図 文化3年
(1806)
都留市 『甲斐国志』編纂の際に提出された秋山村(現上野原市)の絵図。秋山村は山梨県の東端部にあり、神奈川県との県境に位置する。村絵図中には、田が点在しているのが確認できるが、ほかにも煙草を栽培していたほか、養蚕・絹織物業に従事する農家が多数あったという。
甲斐国志写本 江戸時代(19世紀) 山梨県立博物館   全123巻。幕府献上本は、71冊に仕立てられた。項目は、「提要(概要)、国法、村里、山川、古跡、神社、仏寺、人物、士庶(武士と庶民)、古記、古物、土産、製品」と、多岐にわたる。


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