13 江戸文化の往来
甲斐は江戸に近く、物流や人々の往来が活発で、常に最新の江戸文化が流入しました。往来した人々による記録、甲斐に残された書画、学問や文芸などを紹介し、武士や町人がそれらを育み、甲斐に花開かせていった様子を明らかにします。
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展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
山水押絵貼屏風
江戸時代中後期
山梨県立博物館
水墨山水を描いた屏風。雄大の景色の中に、遠くを眺める人物の姿も描かれる。天龍道人は信州下諏訪に隠棲し、多くの作品を残している。とりわけ水墨の葡萄図を得意としたことから、葡萄和尚の異名をとる。本作のような山水を主題とした作品は珍しい。
養老滝図
江戸時代前期
山梨県立博物館
養老の滝は、岐阜県南西部、養老山地北部の東麓の断層崖にかかる滝のこと。孝行者の木こりが湧き出た水を汲み、父に飲ませたところ若返ったという伝説を持つ。作者の狩野周信は江戸時代前期から中期にかけて活躍した絵師で、木挽町狩野派の三代目である。
松聞飛瀑図
江戸〜明治時代
山梨県立博物館
山間より流れ落ちる滝が画面奥に、手前には高士と思しき人物が描き出されている。作者の中西耕石は江戸から明治にかけて活躍した画家。陶工の家に生まれ、山水、花鳥に優れた作品を残した。
高士観瀑図
近代
山梨県立博物館
左手奥に勢いよく流れ落ちる滝が、右手前にはおそらく酒を酌み交わしている高士の姿が描かれている。作者の大河内夜江は明治26年(1893)、山梨県に生まれた。もともと洋画を学んでいたが、途中で日本画に転向し、山水画や花鳥画の作例を残した。
大石村絵図
文化3年
(1806)
都留市
市
『甲斐国志』編纂の際に提出された大石村(現富士河口湖町)の絵図。実際は大部分が山地であるが、村絵図では平地を大きく描き、山名の記入も少ない。村絵部には東西に二筋、南北に三筋の主要路が描かれているが、ここに描かれている道路はほとんどが現在もその道筋を保っている。
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