山梨県立博物館 かいじあむ
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13 江戸文化の往来

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 甲斐は江戸に近く、物流や人々の往来が活発で、常に最新の江戸文化が流入しました。往来した人々による記録、甲斐に残された書画、学問や文芸などを紹介し、武士や町人がそれらを育み、甲斐に花開かせていった様子を明らかにします。

展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
甲州道中身延詣図巻 文政6年
(1823)
山梨県立博物館   資料前半は道中記。後半部分は甲州道中から身延山に至るまでの所々の情景を描いたもの。作者の諏訪鵞湖は紀伊藩士であり、文人画家でもある人物。富士登山を行いその情景を描いたことでも知られる。
甲州身延山図
(6月18日(水曜)〜7月14日(月曜))
弘化4〜嘉永5年
(1847〜52)
山梨県立博物館   江戸時代後期における身延山久遠寺の寺域全体を描いた版画。右下に総門、左下に日蓮の御廟所、中央に本堂域、右上に富士山、左上に七面山を描く構図は、身延山絵図として典型的なもの。作者はおもちゃ絵を得意としたことで知られる歌川芳藤。
身延山図
(7月16日(水曜)〜8月18日(月曜))
明治14年
(1881)
山梨県立博物館   明治初期の身延山久遠寺を描いた版画。江戸時代までの構図とは違い、三門を特に大きく描き、そこから本堂へと通じる菩提梯を通って参詣する人々の様子が描かれる。また清水港・三保の松原など駿河湾沿岸地域まで描かれている点が特徴的。
甲斐国身延山 七面山之図
(6月18日(水曜)〜7月14日(月曜))
安政4年
(1857)
山梨県立博物館   広重の浮世絵版画で、身延山全体の聖域と久遠寺境内が描かれている。広重は天保12年(1841)に甲府道祖神祭りの「幕絵」制作のために来甲しており、その際旅日記とスケッチを残した。富士山沿いに身延道も歩いていることが、その日記から読み取れる。
身延山詣之図
(7月16日(水曜)〜8月18日(月曜))
安政2年
(1855)
山梨県立博物館   歌舞伎役者の姿で、身延詣をする様子を描き出したもの。江戸時代、身延詣が盛んとなったが、その背景として木版摺の参詣案内や参詣絵図が作成されたことが考えられている。
千円札 令和6年
(2024)
山梨県立博物館   令和6年(2024)7月3日に改刷された3券種のうち、AA000009AAの若い記番号が振られた千円札。表面には北里柴三郎が、裏面は浮世絵師、葛飾北斎による「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をもとに、デザインがなされている。
真木村絵図 文化3年
(1806)
都留市 『甲斐国志』編纂の際に提出された真木村(大月市)の絵図。甲州道中の花咲宿と初狩宿のほぼ中間に位置し、村の中央部を真木川が流れ、南に笹子川と甲州道中が平行する。村内には18の寺社が描かれており、集落がこれら寺社の門前のように形成されている。
甲斐国志写本 江戸時代(19世紀) 山梨県立博物館   全123巻。幕府献上本は、71冊に仕立てられた。項目は、「提要(概要)、国法、村里、山川、古跡、神社、仏寺、人物、士庶(武士と庶民)、古記、古物、土産、製品」と、多岐にわたる。


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