資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
| 天保十五年天保暦(古屋家資料) |
天保14年(1843) |
山梨県立博物館 |
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幕府天文方の高橋景保と、その弟で同じく天文方であった渋川景佑は、1836(天保7)年、『新巧暦書』と『新修五星法』を完成させ、幕府に献上した。これをうけて幕府は改暦を指示し、1844(天保15)年から天保暦として施行された。天保暦は現在の太陽暦(グレゴリオ暦)よりも実際の太陽の運行との誤差が少なく、江戸時代の暦法の最終形態として位置づけられる。 |
| 改暦の詔書并太政官達につき町触(甲州文庫) |
明治5年(1872) |
山梨県立博物館 |
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1872(明治5)年11月9日の太陽暦の導入を命じる改暦の詔書と、それを伝達する太政官の達書が、甲府の城下町に回覧されたときの資料。明治5年12月3日を明治6年1月1日とする旨の命令が、甲府町年寄から各町に伝達されたのは11月20日のことであった。 |
| 明治6年の太陽暦と太陰暦 |
明治5・6年
(1872・73) |
山梨県立博物館 |
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明治6年の暦は、改暦の決定以前に天保暦をもとに作成されたものが残されている。この年は閏6月が予定されており、1年は384日とされた。そして改暦決定後に太陽暦をもとに作られた暦は、1年=365日の日付と曜日が示されている。ただし日付や月の運行、二十四節気など、天保暦(旧暦、太陰太陽暦)の情報も併記されている。 |
| 甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇之図(複製) |
原本
慶応4年
(1868) |
山梨県立博物館 |
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月岡芳年による浮世絵。慶応4年、板垣退助らの新政府軍と近藤勇らの幕府軍が柏尾(甲州市)で衝突した勝沼の戦い(柏尾の戦い)の様子を描く。 |
| 天保騒動絵図(複製) |
原本
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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天保7年(1836)8月に発生した天保郡内騒動の進行のようすを描いた絵図。 |
| 近世侠客有名鑑(複製) |
原本
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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明治時代中頃の関東の侠客について、相撲の番付の形式をとり、ランキング形式で示したもの。甲斐国からは、著名な黒駒勝蔵のほか、武井安五郎、身延半五郎、祐天仙之助などの名前が見える。 |