山梨県立博物館 かいじあむ
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14 転換期に向き合う

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 近世から近代への大きな転換期の中で発生したさまざまな騒動について、その発生から集結に至るまでの社会的・政治的背景を紹介します。また、騒動をとおして社会の変化や山梨の地域的特性などの問題を明らかにします。

展示資料
 
資料名
時代
所有
指定
資料解説
王政復古に際し諸触写(檜峰神社武藤家文書) 慶応3年(1867) 山梨県立博物館   いわゆる「王政復古の大号令」の写し。慶応3(1876)年10月、徳川慶喜は政権を朝廷に返上した(大政奉還)。討幕を強硬に主張していた岩倉具視たちは、幕府に代わる新政府の樹立と慶喜の排除を狙い、同年12月、薩摩・長州藩らの武力を背景に朝廷でクーデターを起こし、天皇を中心とする新政府の樹立を宣言した。
幕末甲斐国統治条目(頼生文庫) 慶応4年(1868) 山梨県立博物館   高松実村率いる高松隊が甲斐国内に出した触書の写し。鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、幕府領を占領しようとする新政府に呼応し、諸隊と呼ばれる軍勢が独自に幕府領に侵攻した。実村や相楽総三らはその例である。しかし実村は勅許を得ることができず、偽官軍として処罰をうけた。
砲弾 江戸時代
(19世紀)
山梨県立博物館   柏尾の戦いに際し、幕府軍が新政府軍に打ち込んだ不発弾であるという。1859年にフランスで開発された野戦砲「四斤山砲」の砲弾と同形である。日本では慶応2年(1866)の第二次長州征討に際して幕府陸軍が使用したことが知られており、明治に至るまで陸軍の主力装備の1つであった。
板垣退助写真(大木家文書) 近代 山梨県立博物館   慶応4年(1868)頃の板垣退助の写真を印刷したもの。のちに自由民権運動の旗手としてその中心に立つ板垣の、30代初めころの画像である。
御官軍御宿割控(甲州文庫) 慶応4年(1868) 山梨県立博物館   柏尾の戦いで幕府軍を破った新政府軍が、武蔵八王子周辺の宿所に分散して宿をとった際の宿帳の控え。土佐・鳥取両藩兵を中心とする東山道軍は、こののち3月13日に板橋に到達し、東海道軍と合流して江戸城総攻撃の準備を進めることになる。
甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇之図(複製) 原本
慶応4年
(1868)
山梨県立博物館   月岡芳年による浮世絵。慶応4年、板垣退助らの新政府軍と近藤勇らの幕府軍が柏尾(甲州市)で衝突した勝沼の戦い(柏尾の戦い)の様子を描く。
天保騒動絵図(複製) 原本
江戸時代
山梨県立博物館   天保7年(1836)8月に発生した天保郡内騒動の進行のようすを描いた絵図。
近世侠客有名鑑(複製) 原本
明治時代
山梨県立博物館   明治時代中頃の関東の侠客について、相撲の番付の形式をとり、ランキング形式で示したもの。甲斐国からは、著名な黒駒勝蔵のほか、武井安五郎、身延半五郎、祐天仙之助などの名前が見える。


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