山梨県立博物館 かいじあむ
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14 転換期に向き合う
 
「転換期に向き合う」展示室写真  近世から近代への大きな転換期の中で発生したさまざまな騒動について、その発生から集結に至るまでの社会的・政治的背景を紹介します。また、騒動をとおして社会の変化や山梨の地域的特性などの問題を明らかにします。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
小幡忠篤書状(檜峰神社武藤家文書) 慶応4年(1868) 山梨県立博物館   江戸の小幡忠篤から檜峰神社の武藤外記・藤太父子に送られた年始のあいさつ状。定型通りのあいさつ文と、細かな文字で裏面までびっしりと書かれた近況報告が非常に対照的である。
正月年礼之儀に付御達(篠原家文書) 明治初期 山梨県立博物館   年頭のあいさつの日程や内容について、基本的には旧来の慣例を守るようにと命じた通達。「朝廷御料」となったことを通達の背景としているので、明治元年(1868)の段階で翌2年の年頭あいさつを想定して発せられたものであろう。
甲府郵便取扱所御開御布達并規則(甲州文庫) 明治4年(1872) 山梨県立博物館   甲府に郵便取扱所(郵便局)を置くことと、料金などの規則を布達した廻状の写し。明治政府が近代化政策の一環として導入した郵便制度によって、年賀状のやりとりは一変した。
年賀状(大木家文書) 明治20年(1888) 山梨県立博物館   小田切謙明から大木氏に出された年賀状。小田切謙明は山梨県でも有数の民権運動家として知られ、国会開設請願運動にも参加している。日付には「国会前二年」という表記がみられ、1881年の「国会開設の詔」によって約束されていた1890年の帝国議会開設への期待がうかがえる。
年賀状(大木家文書) 明治21年(1889) 山梨県立博物館   1889年の正月、甲府横近習町の豪商・大木家に届いた年賀状。このころには、郵便はがきによって年賀状を送るという習慣が定着し、年始には郵便物が過度に集中することによって郵便局の通常業務が圧迫され、大幅な遅配も頻発するようになった。そのため、年賀郵便は通常郵便と分けて取り扱われるようになっていく。
年賀状(大木家文書) 明治21年(1889) 山梨県立博物館  
年賀状(関本家文書) 昭和23年(1948) 山梨県立博物館   1948年に関本氏に届けられた年賀状。この年まで年賀状は通常の郵便はがきを用いて書かれていたが、この翌年に「お年玉付き年賀はがき」が発売される。
近世侠客有名鑑(甲州文庫) 明治24年(1891) 山梨県立博物館   江戸時代末期の全国の博徒を、相撲番付風にランキング表にしたもの。甲斐国からは黒駒勝蔵らがノミネートしている。
天保騒動の一揆進行の絵図
(手塚家資料 複製)
江戸時代 山梨県立博物館   天保7年(1836)におきた天保騒動の被害範囲を示した絵図。この騒動は、数日のうちに甲斐国全体に拡大した。
勝沼駅近藤勇驍勇之図(甲州文庫) 慶応4年
(1868)
山梨県立博物館   柏尾の戦いの様子を描いた錦絵。近藤勇ら新撰組等からなる甲陽鎮撫隊は、江戸防衛のために要地・甲府の確保を目指して江戸からやってきたが、慶応4年(1868)3月、すでに甲府城を占領した新政府軍と勝沼の大善寺付近で衝突し(柏尾の戦い)、圧倒的に数的不利な近藤らは敗走した。


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