山梨県立博物館 かいじあむ
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14 転換期に向き合う

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真
 近世から近代への大きな転換期の中で発生したさまざまな騒動について、その発生から集結に至るまでの社会的・政治的背景を紹介します。また、騒動をとおして社会の変化や山梨の地域的特性などの問題を明らかにします。

展示資料
 
資料名
時代
所有
指定
資料解説
「参行六王クウ御伝書」(甲州文庫) 万延2年(1861) 山梨県立博物館   参行六王こと食行の三女・はなの弟子・伊藤参行(いとうさんぎょう、1745-1809)の教義書。参行は食行の教えを継ぎ、生活倫理の実践を強調して、後の富士講の隆盛の基礎を築いた。参行の弟子に不二道実行教を開いた禄行三志(小谷庄兵衛)がいる。
『不尽道別』(甲州文庫) 明治8年(1875) 山梨県立博物館   徳大寺完爾(とくだいじかんじ、1805-83)著。角行以来の富士講の歴史を記し、師である禄行三志(小谷庄兵衛)を称賛したもの。完爾はもとは東寺長者も務めた高僧であったが、禄行の弟子となり、富士講の一派である不二道を継承し、明治になるとその神道化を推進した。
富士山内名所改名願書(佐野広乃関係文書) 明治8年(1875) 山梨県立博物館   富士浅間神社宮司および須走・吉田などの浅間神社の祠官を兼ねた宍野半(ししのなかば、1844-84)が、当時の山梨県令藤村紫朗に対し、富士山周辺の「釈迦ヶ岳」「阿弥陀ヶ窪」といった仏教色の強い地名を改めるよう願い出たもの。
『富士信導記』(古文書雑輯(2)) 明治10年(1877) 山梨県立博物館   宍野半の弟・半之進(?-1880)が扶桑教の世界観や宗教観などを問答形式で平易に紹介したもの。明治時代、富士講の流れの一つである扶桑教では、天御中主神を祭神とし、神道色の強い教義を整備していった。
富士北口講社規約(甲州文庫) 明治12年(1879) 山梨県立博物館   扶桑教の母体となった富士一山教会の結成に対抗して、吉田の御師たちが結成した富士北口講社の規約。富士嶽神社を拠点とし、その祠官を教長とすることや、講社のトップである社長は器量に応じて選定することなどを規定している。
『一即五成十化更始一』(甲州文庫) 明治13年(1880) 山梨県立博物館   伊藤六郎兵衛(1829-94)の説をまとめたもの。万物は一が五になり、五が十になってまた一に復するという原理に従っているとする。富士講丸山講の講元の家に生まれた伊藤は、明治になると宍野半とともに扶桑教会を主導するが、宍野の没後には独立し、丸山教を開いた。
甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇之図(複製) 原本
慶応4年
(1868)
山梨県立博物館   月岡芳年による浮世絵。慶応4年、板垣退助らの新政府軍と近藤勇らの幕府軍が柏尾(甲州市)で衝突した勝沼の戦い(柏尾の戦い)の様子を描く。
天保騒動絵図(複製) 原本
江戸時代
山梨県立博物館   天保7年(1836)8月に発生した天保郡内騒動の進行のようすを描いた絵図。
近世侠客有名鑑(複製) 原本
明治時代
山梨県立博物館   明治時代中頃の関東の侠客について、相撲の番付の形式をとり、ランキング形式で示したもの。甲斐国からは、著名な黒駒勝蔵のほか、武井安五郎、身延半五郎、祐天仙之助などの名前が見える。


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