山梨県立博物館 かいじあむ
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10 山に生きる

 
「戦国からのメッセージ」展示室写真 山村のくらしを理解するために、山村にくらす人々が山の資源を利用して多様な生業を営み、山の生産物の流通を通して里や城下町と交流していたことを紹介します。
展示資料
資料名
時代
所有
指定
資料解説
焼畑衣装(再現品) 昭和時代 山梨県立博物館
  
1950年代頃、奈良田(早川町)で焼畑を行う際に着用していた仕事着の再現品。
枡・焼き鏝(やきこて) 明治以降 山梨県立博物館   奈良田(早川町)でかつて行われた焼畑に使用された枡と道具にイエジルシを付ける焼き鏝(深沢家資料)
並山日記 巻五(若尾資料) 大正5年
(1916)写
山梨県立博物館
 
江戸時代の国学者黒川春村が甲斐国を訪れた際の紀行文。市川大門村の紙漉の様子が挿絵入で掲載されている。
楮・三椏他国出し差留につき東西河内領村々済口証文(甲州文庫) 文化11年(1814) 山梨県立博物館
 
和紙の原料となる楮・三椏を他国で売買することについて、生産者の村々と市川大門・西島などの紙漉人との間で取り決められた内済(示談による和解)の内容を記した書類。楮・三椏は甲斐の「国益」につながるため、国内の売買に限定されていたが、他国へ売ろうとする動きがたびたびあった。
大鋸 昭和時代 山梨県立博物館
 
材木を伐採するために使用した鋸。
武田家朱印状(桑原家資料) 乙亥(1575) 個人蔵
武田家が、寺尾郷(笛吹市境川)に竹木・藁縄を納めることを命じた古文書。寺尾郷が武田家から竹木などを納める場所として位置づけられていたことがわかる。
河内領佐野山小屋指図 江戸時代 山梨県立博物館   河内領佐野山(身延町・南部町)で杣(林業を営む人々)が山に入り作業をするために建てられた山小屋の絵図面。佐野山は、戦国時代以来、河内地域を支配していた穴山氏に木材を納めるなど、林業が盛んであった。
銅鉱試掘鉱区図(渡辺家文書) 大正10年(1921) 山梨県立博物館
盛里村(都留市)の渡辺信太郎が、朝日馬場周辺(現在の旭小学校一帯)で銅鉱の試掘を申請するために用意した試掘図。都留市には、明治17年(1884)に開坑した「宝鉱山」(大幡川上流)があり、昭和45年(1970)の閉山まで銅などが採掘された。その実績を受けて、朝日馬場の試掘が計画されたのであろう。しかしその結末は不詳。
穴山信友判物(佐野家文書) 弘治3年  (1557) 個人蔵   武田氏の一族で河内地域(甲斐南部の富士川流域)を支配していた穴山信友が、大崩村(身延町)の助左衛門尉に、棟別銭(建物にかかる税金)を免除し、「山造棟梁(やまつくりとうりょう)」=材木の伐採に関わる職人のリーダーとして、穴山氏に板を納めるように命じたもの。本来、折紙であったものが中央で切断されており原形を留めていない。
甲州金(一分金)
(甲州文庫)
江戸時代 山梨県立博物館
 
戦国時代以来、金山が多数存在した甲斐国で独自に流通していた甲州金と呼ばれる貨幣。
林業の道具を象った小正月のツクリモノ 現代 山梨県立博物館
 
南都留郡道志村の林業を営む家で、毎年小正月に、仕事が順調なことを祈願して作られる飾りもの。大鋸など林業の道具が象られている。


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