山梨県立博物館 かいじあむ
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かいじあむ おすすめの展示資料
 山梨県立博物館では、およそ2ヶ月に1度の頻度で常設展示室の展示替えを実施しています。資料によっては、保存管理上1ヶ月程度で展示替えするものもあります。現在展示中の資料のうち、 おすすめのものをこちらでご紹介しております。ぜひ、山梨の歴史を語る貴重な資料と会いにかいじあむへお越しください。
 

■ 今回のおすすめ資料【お正月は博物館で初詣】
お正月は博物館で初詣

お正月にちなみ、「おめでたい」、「ありがたい」資料を取り揃えて展示しました。
年の初めは博物館で招福!

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【主な展示資料の紹介】

甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之瀧 (部分)
ここうふどうそじんまつりまくえ とうとめいしょ めぐろふどうのたき
初代歌川広重が、天保12(1841)年に甲府の緑町1丁目に招かれて制作した幕絵。10枚ほど描かれたうちの現存唯一の資料。県指定文化財。

江戸文化の往来」 に展示中

甲府道祖神祭幕絵

甲府城下の道祖神祭を再現したジオラマ
甲府道祖神祭を再現したジオラマ
祝いのお膳
いわいのおぜん
『甲陽軍鑑』の「御献立之次第」をもとに再現した本膳料理。本来は7つの膳と菓子からなる。献立の内容より安土桃山から江戸時代初期頃に武家の婚礼に際して供されたと考えられる。

甲斐を駆ける武士たちに展示中
祝いのお膳

上杉景勝判物(市河家文書)
うえすぎかげかつはんもつ
上杉景勝が、市河長寿丸(勝房)から年始の祝儀として太刀と馬を献上されたことを賞した文書。


戦国からのメッセージに展示中

上杉景勝判物

甲府八日町正月初売之景 原画(甲州文庫) (部分)
こうふようかまちしょうがつはつうりのけい
江戸時代末期の浮世絵師・歌川国芳が描いた、甲府八日町での正月2日の初売りの光景。升屋の店先に積み上げられた初荷や、通りにあふれんばかりの人々など、「化け物市」とも呼ばれたにぎわいの様子が描かれている。八日町ジオラマのもととなった資料。

「城下町の賑わい」に展示中

甲府八日町正月初売之景

初売りを再現したジオラマ
初売りを再現したジオラマ
おもちゃ籠
おもちゃかご
若尾家3代目の謹之助が著した甲州に伝わる玩具の記録。巻頭にはさまざまな山梨の郷土玩具をイラストで紹介している。補遺は本編の翌年の大正5年(1916)に刊行。

巨富を動かすに展示中
おもちゃ籠
 
テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<お正月は博物館で初詣>です。
お正月や冬休みは、かいじあむでお楽しみください。

展示期間
お正月や冬休みは、かいじあむでお楽しみください。
展示場所
常設展示室甲斐を駆ける武士たち、「城下町の賑わい」、江戸文化の往来ほか
 
■ 終了したおすすめ資料【山梨の豊かな食文化】
2016年秋おすすめ資料

実り豊かな秋を迎えた山梨には、おいしい食べ物がたくさんあります。
企画展「葡萄と葡萄酒」にちなみ、食文化に関係する資料を集めてみました。

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【主な展示資料の紹介】
大日本物産図会甲斐国白柿製之図
だいにほんぶっさんずえかいのくにころがきつくるのず明治10年の第1回内国勧業博覧会に合わせて制作された錦絵集「大日本物産図会」の一部。日本各地の名産品を描いた100枚シリーズで、三代広重によるもの。実る柿の実と、ころ柿をつくるために柿の皮をむく女性が描かれており、簡単な製造法についての説明が加えられている。なお、同シリーズの中には山梨のブドウづくりを描いた1枚もある。

「里にくらすに展示中
大日本物産図会甲斐国白柿製之図
祝いのお膳
いわいのおぜん
『甲陽軍鑑』の「御献立之次第」をもとに再現した本膳料理。本来は7つの膳と菓子からなる。献立の内容より安土桃山から江戸時代初期頃に武家の婚礼に際して供されたと考えられる。

甲斐を駆ける武士たちに展示中
祝いのお膳

七十一番職人歌合
しちじゅういちばんしょくにんうたあわせ
71組142種類の職人が、和歌を競う形で描かれた絵巻物。室町時代後半頃に原本が成立したとみられ、当時の職人の姿をうかがうことができる。食関係では、魚売など食料品の商人や、酒作などの生産者、包丁師など料理人の姿が数多く描かれている。


道がつなぐ出会いに展示中

七十一番職人歌合

狩之作法聞書
かりのさほうききがき
狩りの方法、道具、作法などについて記した武家の故実書。大規模な集団で実施し、緻密な戦術を要する巻狩は武士にとって重要な軍事訓練でもあった。


道がつなぐ出会いに展示中

狩之作法聞書
魚菜図(甲州文庫)
ぎょさいいず
吉田柳蹊(1820-70)筆。柳蹊は幕臣で、椿椿山(1801-54)に画技を学んだ。本資料の書き込みによると、この絵は天保15年7月に柳蹊が石和代官所において描いたものという。柳蹊の足跡は不明な部分が多いが、幕府の勘定方の役人として一時期滞在したのかもしれない。また大森快庵の『甲斐叢記』にある「峡中八珍果」などの挿絵を描いたのも柳蹊である。画面いっぱいに蓮の葉に盛られた鮎などの魚と、しじみ、レンコン、蟹などを描く。描かれたものすべてが食材というわけではないが、彼らにとって日常的になじみ深い品々を描いたものであろう。

江戸文化の往来」 に展示中
魚菜図
 
テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<山梨の豊かな食文化>です。
秋のお出かけは、かいじあむでお楽しみください。

展示期間
平成28年10月26日(水曜)から12月19日(月曜)まで

展示場所
常設展示室甲斐を駆ける武士たち、「城下町の賑わい」、江戸文化の往来「転換期に向き合う」ほか
■ 終了したおすすめ資料【資料でめぐる山梨の旅】
資料でめぐる山梨の旅
紅葉に覆われた美しい山々や色づくブドウ。山梨の秋は行楽のシーズンです。
昔の人々も山梨の風景を楽しみ、また、外部への旅を楽しみました。
旅にまつわる資料をめぐる時を超えた旅を 博物館がお届けします。
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【主な展示資料の紹介】
『海外新話』 全(高室家資料)
かいがいしんわ
丹後田辺藩士嶺田楓江(みねたふうこう、1817-83)がアヘン戦争(1840-42)の概要を記した読本。楓江は「籌海(海防)の志」に基づき、日本に迫る外圧を広く一般に知らせるためにこの本を著したという。これに対し、海外情報の流布を厳しく警戒していた幕府は、本資料を絶版処分とし、楓江を江戸十里四方追放に処した。

「転換期に向き合う」に展示中
海外新話
廣瀬保庵写真(村松家資料)
ひろせほあんしゃしん
医者廣瀬保庵(1808-65)の写真。保庵は市川大門の医者で、市川陣屋付きの医官でもあった。その際に市川代官であった森田清行の知遇を得たことから、清行に医者として随行するため、遣米使節団に加わることになる。帰国後も医者として活動したが、医業はさほど振るわず、息子を早くに亡くしたこともあり、晩年は不遇であった。

「転換期に向き合う」に展示中
廣瀬保庵

武田家過所(桑原家文書)
たけだけかしょ
武田氏が都留郡内の関所に対して、この文書を所持した人の通行を許可するよう命じたもの。桑原家は漆の生産・流通に関わっていたと考えられ、この古文書も漆を他国へ運搬するために発行された可能性がある(山梨県指定文化財)。


戦国からのメッセージに展示中

武田家過所(桑原家文書)

隔掻録
かくそうろく
「江湖浪人月所」という人物によって著された富士山登山案内書。多くの写本がある中、彩色の挿絵があるのが特徴的。


信仰の足跡に展示中

隔掻録
甲斐猿橋図
かいさるはしず
富岡鉄斎は京都の人で、広く学問や絵を学び、近代南画の重鎮として知られた。本作は鉄斎独特の筆墨技法で描かれた名勝猿橋(大月市)で、「大木氏のために」と言葉が添えられている。

江戸文化の往来」 に展示中
甲斐猿橋図
右左口人形と石櫃
うばぐちにんぎょうといしびつ
明治時代頃まで、徳川家康から特権を認められたことを祝い、毎年七月二十三日に御朱印祭りが行われていたが、この祭りで催された人形芝居に使用した人形のかしらの一部は、駿府や由比で製作されており、中道往還を通り駿河(静岡県)からもたらされたことがわかる。

道がつなぐ出会いに展示中
右左口人形 右左口人形
   
山梨県甲府勧業場之図(甲州文庫)
やまなしけんこうふかんぎょうじょうのず
明治7年(1874)甲府錦町に建設された県勧業製糸場を描いた錦絵。東西35間(63メートル)、南北5間(9メートル)にもおよぶ擬洋風煉瓦造りの製糸場で、水力を動力として導入しており、今後の山梨県の器械製糸工場の模範とされた。整備と経営の中心となったのは、名取彦兵衛(雅樹)。

変貌する景観に展示中
山梨県甲府勧業場之図
 
テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<資料でめぐる山梨の旅>です。
秋のお出かけは、かいじあむでお楽しみください。

展示期間
平成28年8月24日(水曜)から10月24日(月曜)まで

展示場所
常設展示室「転換期に向き合う」、「道がつなぐ出会い」、「変貌する景観」ほか


このほか、展示室には旅関連資料を中心に、多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。  新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
■ 終了したおすすめ資料【富士は日本一の山】
富士は日本一の山
時代を超えて日本人の心をとらえてきた富士山。
様々な資料の中からあなたの好きな富士山を見つけてみてください。
 
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【主な展示資料の紹介】

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら

(展示期間:6月29日〜7月25日)
荒れ狂う波濤と身を伏せる船上の人々、遠くに鎮座する富士が描かれる。静と動の対比が効果的にあらわされた作品。。

江戸文化の往来に展示中

神奈川沖浪裏

冨嶽三十六景 凱風快晴
ふがくさんじゅうろっけい がいふうかいせい

(展示期間:7月27日〜8月22日)
通称「赤富士」。凱風とは南風のことであり、夏の早朝に富士が赤く染まる一瞬の現象が描きだされている。

江戸文化の往来に展示中

凱風快晴

富士山麓絵図(甲州文庫)
ふじさんろくず こうしゅぶんこ

土地利用のために作成したとみられる富士山北麓地域の絵図。富士山は山頂火口部から山麓までを詳しく描き、登山道や伝承にもとづく古道も記されている。山麓では、丸尾(溶岩流)が目立った形で描かれている。

水に取り組むに展示中

富士山麓図

富士山牛玉
ふじさんごおう

山頂に来迎する阿弥陀三尊像の姿をあらわした絵札。

信仰の足跡に展示中

富士山牛玉

富士身延鉄道沿線名所図会
ふじみのぶてつどうえんせんめいしょずえ

富士身延鉄道(現在のJR身延線)の沿線を描いたパンフレット。作者は当時特徴的な鳥瞰図を得意とした吉田初三郎。

巨富を動かすにパネル・映像にて展示中

富士身延鉄道沿線名所図会

テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<富士は日本一の山>です。
山梨の人々と富士山の深い関わりの歴史を感じてください。

展示期間

平成28年6月29日(水曜)から平成28年8月22日(月曜)まで

展示場所
常設展示室江戸文化の往来信仰の足跡巨富を動かすほか

■ 終了したおすすめ資料【災害に向き合う―山梨の災害と人々―
【災害に向き合う―山梨の災害と人々―】
それは、時と場所を選ばず、ある日突然やってきます。
様々な過去の資料を読み解き、来るべき時に備える。
歴史に学ぶことも、災害対策のひとつになるでしょう。
 
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【主な展示資料の紹介】

武田家朱印状(保坂家文書)
たけだけしゅいんじょう

武田氏が竜王信玄堤における洪水の被害を防ぐ工事のため、周辺の村に人足の動員を命じた古文書。ここに書かれている村は、信玄堤が決壊した場合に被害を受ける村に加えて、洪水の被害を受けない村も記されている。信玄堤の維持に広範囲の地域の人々が関わっていたことがわかる。

水に取り組むに展示中

武田家朱印状(保坂家文書)

有野村堤絵図(千野家文書)
ありのむらつつみえず

有野村(南アルプス市)を流れる御勅使川に設けられた石積出の状況を描いた図。図中央部には「損地」となっている御勅使川の旧流路(前御勅使川)と、それを防ぐように六科の将棋頭が描かれている。

水に取り組むに展示中

有野村堤絵図

『富嶽百景 初編』より「宝永山出現」
ふがくひゃっけい しょへんよりほうえいざんしゅつげん

「富嶽三十六景」についで、北斎が手掛けた富士の絵本。 本図には、1707年11月23日に噴火した、「宝永大噴火」の惨事が描かれている。

江戸文化の往来に展示中

『富嶽百景 初編』より「宝永山出現」

「安政見聞録 上中下(長谷川家文書)
あんせいけんぶんろく

服部保徳著、挿絵は歌川芳晴(芳春)による。安政2年(1855)10月2日に江戸を襲った安政大地震に素材をとった読本。江戸では元禄16年(1703)以来の大地震であったこともあり、安政大地震の記録は多数作成されたが、本史料はそのなかでも教訓・道徳色が強い。東海・東南海地震における被害のようすがエピソード的にまとめられている。

「転換期に向き合う」に展示中

「安政見聞録 上中下(長谷川家文書)

明治40年8月山梨県水害実景
めいじ40ねん8がつやまなしけんすいがいじっけい

明治40年(1907)8月に山梨県に大被害をもたらした大水害の記録写真。この水害の際には、20世紀の自然災害としては最大の233名もの犠牲者を出している。この災害を契機に、河川や源流の山林の保護が進められていった。写真は多くの人々の命を救ったとされる柿の木の写真。

共生する社会にパネル・映像にて展示中

明治40年8月山梨県水害実景

テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<災害に向き合う−山梨の災害と人々−>です。

展示期間

平成28年4月27日(水曜)から平成28年6月27日(月曜)まで

展示場所
常設展示室水に取り組む転換期に向き合う共生する社会、ほか

■ 終了したおすすめ資料【山梨の春は、桃と桜と信玄公!】
山梨の春は桜や桃が咲き誇り、甲府盆地を花の色で彩ります。
春はまた、戦国時代を代表する武将 武田信玄にゆかりのある季節です。元亀4年(1573)4月12日に亡くなった信玄をしのんで、山梨では様々なお祭りやイベントが催されます。
県立博物館でも、毎年恒例の武田特集で信玄ゆかりの資料を数多く展示しております。今年はさらに、山梨の春を彩る桃や桜に関する資料も展示しています。ぜひ博物館で山梨の春を満喫しながら、武田信玄と戦国の世に思いをはせてください。
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【主な展示資料の紹介】

天目山勝頼討死ノ図(甲州文庫)
てんもくざんかつよりうちじにのず

天正10年(1582)3月、武田勝頼が甲州天目山の麓にある田野(甲州市大和町)において滅亡する様子を描いた浮世絵。勝頼は新府城を捨てて都留郡へ向かおうとしたが、小山田信茂の離反によって行く手を阻まれ、田野の地にたどり着き、ここで最期の一戦を遂げた。

甲斐を駆ける武士たちに展示中



天目山勝頼討死ノ図(甲州文庫)

川中島大合戦組討盡
かわなかじまだいかっせんくみうちづくし

「川中島大合戦組討盡」は、甲軍と越軍の武将が一騎打ちをする場面が描かれている。なお組討ちとは、戦場で敵と組み合って 討ち取ることである。作者の歌川芳艶は幕末に活躍した国芳門下の浮世絵師で、とりわけ武者絵に秀でた。

江戸文化の往来に展示中



川中島大合戦組討盡

砲弾
ほうだん

柏尾の戦いに際し、幕府軍が新政府軍に打ち込んだ不発弾であるという。1859年にフランスで開発された野戦砲「四斤山砲」の砲弾と同形である。日本では慶応2年(1866)の第二次長州征討に際して幕府陸軍が使用したことが知られており、明治に至るまで陸軍の主力装備の1つであった。

「転換期に向き合う」に展示中

 

砲弾

「俺は地方病博士だ」
おれはちほうびょうはかせだ

地方病の啓発用冊子。絵本仕立てで、地方病博士がこどもたちに地方病の症状や原因について説諭する内容となっている。

共生する社会に展示中

「俺は地方病博士だ」

スチブナール

地方病の治療薬、日本住血吸虫の駆虫薬。副作用が強く、治療の辛さが証言により伝えられている。

共生する社会に展示中

スチブナール

テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<山梨の春は、桃と桜と信玄公!>です。

展示期間

平成28年2月24日(水曜)から平成28年4月25日(月曜)まで

展示場所
常設展示室甲斐を駆ける武士たち江戸文化の往来城下町の賑わい、ほか

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