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インデックス>展示案内>シンボル展とは?>曽我物語図屏風

展示案内

山梨県にも『曽我物語』ゆかりの地があります。ここでは、南アルプス市にあるゆかりの地についてご紹介します。

(協力・画像提供:南アルプス市教育委員会)

■南アルプス市内史跡紹介

鎌倉御所五郎丸の墓 
南アルプス市指定文化財 史跡
南アルプス市野牛島2076


御所五郎丸の墓

野牛島集落の中心に、御所五郎丸の墓がある。安山岩の自然石に「鎌倉御所五郎丸の墓」と陰刻されている。五郎丸は源頼朝に仕え、曽我兄弟の仇討ちの際、女性の着物を被って油断を誘い曽我五郎を取り押さえたという。頼朝を守ったにもかかわらずその行為が武士道に反するとされ、野牛島の地に流されたと地元では伝えられている。また、五郎丸の墓の周辺に住む家系は五郎丸の家来の子孫とも言われている。

五郎丸についての記録は、鎌倉時代には『吾妻鏡』の他になくその人物像は不明な点が多い。江戸時代に書かれた『扁額規範』(へんがくきはん)によれば、五郎丸は京都に生まれ、比叡山に住んでいたが、16歳の時に師匠の仇を討って都を離れ、一条忠頼を頼って甲斐国甘利庄(現在の韮崎市)に来た。その後、忠頼が頼朝に討たれたのを機に、頼朝に仕えるようになった。荒馬を乗りこなす剛の者で、75人力であったという。『甲斐国志』では野牛島が一条家の領地であったため、縁ある者が墓を建立したのではないかと推測している。

野牛島のビャクシン
山梨県指定文化財 天然記念物
南アルプス市野牛島2076


ビャクシン
ビャクシンはヒノキ科の高木であるイブキの一品種で、本州、四国、九州の海岸地方に分布する常緑の針葉樹である。樹形が美しいため庭園や寺社境内に植えられていることが多く、本樹も野牛島地区、御所五郎丸の墓の南側に立っている。野牛島に流されたといわれる五郎丸が、杖をこの地にさしたところ、それが根づいて現在の大きなビャクシンになったという伝承が残されている。

伝曽我十郎木像・伝虎御前木像 
南アルプス市指定文化財 有形文化財
所在地/南アルプス市芦安芦倉 諏訪神社


伝曽我十郎木像・伝虎御前木像

芦安大曽利の諏訪神社に祀られている。以前は芦安安通に位置する伊豆神社のご神体であったが、神社が荒廃したので大正10年諏訪神社に遷祀された。かつては曽我兄弟の木造とされてきたが、平成12年に行われた調査によって、この木造が曽我十郎とその恋人虎とされた。

虎御前と鏡立石
芦安安通


虎御前と鏡立石

虎は鎌倉時代初期の曽我兄弟の仇討ちを描いた『曽我物語』の主人公の一人、兄十郎の恋人である。大磯の遊女で、十郎20歳、虎17歳の時に恋仲となったという。山梨県では江戸時代から別の伝承が伝えられている。『甲州噺』(1732年)によれば、虎は安通に生まれ、幼ない時から美人と評判で、大磯の長者へ養子に出された。そのため、いまだに芦安では美人が生まれるという。兄弟の菩提を弔うため信濃善光寺に向かった虎は、その旅の途中と参拝後、生まれ故郷の安通村へ帰り、安通で暮らしながら兄弟の供養を続け、この地で亡くなったと地元では伝えられている。伊豆神社跡の西に位置する大石は兄弟の菩提を弔いながら、虎が化粧をするために毎日鏡を立てかけたものだといわれ、『甲斐国志』では「虎女ノ鏡石」、現在では「虎御前の鏡立石」と呼ばれている。

伊豆神社跡
芦安安通


伊豆神社跡

芦安安通に位置する。『甲斐国志』によれば、曽我兄弟と同族の伊東氏が故郷の伊豆から伊豆権現を勧請したとされ、伊豆権現、曽我十郎、虎を祀ったことから三社とも呼ばれたという。『社記』では「伊豆三社権現」と言い、大山祇命など神々のほか、曽我氏霊、曽我十郎、大磯の虎を祀るとある。大正時代に社殿が倒壊したため現在ご神体は諏訪神社に合祀されている。

   
南アルプス市作成のマップについてもPDFデータで配付しております。ぜひご活用ください。
芦安マップ(表)(7.62MB) 芦安マップ(裏)(11.6MB)
芦安マップ
 


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