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インデックス>富士山>葛飾北斎 冨嶽三十六景

富士山


博物館資料のなかの『富士山』

葛飾北斎 冨嶽三十六景

4:深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)

深川万年橋下

両岸の建物を西洋画風の透視遠近法で描き、その両岸をつなぐ太鼓橋の弧と橋桁が幾何学的な構図を作り出している。手前の船の舳先が示す方向に目をやると、橋桁の向こうに富士が見える。橋桁越しに富士を見る発想は、河村岷雪の『百富士』(明和4年=1767)に見られるが、北斎はさらに洋風画表現を取り入れて構成させた。北斎は文化年間(1804-18)に洋風版画を試みており、本図より極端に遠近法を強調させた「たかはしのふじ」を制作している。

※深川(東京都江東区)
…万年橋は、江戸深川を流れる小名木川が隅田川に合流する地点にかかる橋。北側(右側)は海辺大工町。小名木川は中川と隅田川を結ぶ運河で河川交通路の江戸の出入口であった。隅田川の対岸には小浜藩

酒井家中屋敷など大名屋敷が並ぶ浜町二丁目付近が見える。隅田川中の芦原、安永元年(1772)から寛政元年(1789)まで三俣富永町として茶屋・湯屋が集まった中洲の跡地。北斎は天保6年(1835)頃、深川万年橋付近に居住していた。

 
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