山梨県立博物館 かいじあむ
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博物館の資料に見る風林火山の世界

2:武田信玄

 武田信玄は、勘助の能力を見込んで、「三河の浪人」であった勘助を重く用いました。はじめは100貫文で召し抱えるつもりだったところを、勘助の姿を見て「このような無男(ぶおとこ)であるにもかかわらずその名が高く知れ渡っているのは、それほど能力を持った者なのだろう」と言って、すぐに知行を2倍にして取り立てたと言われています。
  そして、信玄は勘助をたびたび呼び寄せては、城取や合戦、政治などに関する問答を行いました。
 勘助が討ち死にした川中島の戦いでは、上杉謙信との一騎打ちという伝説を残し、現在まで長く語り継がれています。
  ここでは、江戸時代以降に描かれた信玄の姿や、信玄の書状などの資料をご紹介します。
土佐光起筆 武田信玄像
武田信玄像
左:土佐光起筆 武田信玄像
右:武田信玄像
左の絵は、鎧の上に法衣を纏い、白い毛の兜をかぶった、現在の私たちがイメージする信玄に非常に近いものです。17世紀の後半に描かれたものです。
右の絵は、甲冑だけに身をつつんだ姿です。上の文を見ますと、信玄の弟逍遥軒(信廉)が描き、高野山に奉納した絵の写しであると書かれています。
 

歌川芳員 武田大膳大夫信玄 歌川芳勝 甲越武勇伝のうち 大膳大夫晴信入道信玄

歌川芳員 武田大膳大夫信玄     歌川芳勝 甲越武勇伝のうち 大膳大夫晴信入道信玄  
 
武田信玄像 武田信玄像 歌川国芳 武田信玄川中島出張之図
歌川国芳 武田信玄川中島出張之図
月岡芳年 武田大膳大夫晴信入道信玄
月岡芳年 武田大膳大夫晴信入道信玄
信玄の古文書
武田晴信書状  
      晴信花押アップ
武田晴信書状
武田晴信(信玄)が、小田原の戦国大名北条氏からの連絡に対して、郡内領主小山田氏を通して返答することを伝えた古文書。
「中村又次郎ならびに寿星軒をもってご懇切に承り候条、その意を得せしめ、委曲ご返答に及び候。この旨つぶさに小山田より申すべきところに候間、重説あたわず候。恐々謹言。
  ニ月朔日 晴信(花押)
  北条殿 」
 
 
武田信玄書状 信玄花押アップ
武田信玄書状
信玄が、家臣の原与左衛門尉に対して、在陣の苦労をねぎらい、番替えの派遣を指示した古文書。
「その地において長々の苦労察し入り候。甲信の諸卒一統の在陣に候。すなわち一身に限らざる労煩に候えども、番普請等の窮屈、大儀たるべく候の条、番替として近日中に下伊那衆を指し遣わし候。着城の上、すなわちその方の参陣を待ち入り候。恐々謹言。
  八月廿日 信玄(花押)
   原与左衛門尉殿 」
 
武田家朱印状 龍朱印アップ
武田家朱印状
家臣の田辺清兵衛に対して問屋の経営を許可した古文書。
「(龍朱印)小田原問屋の事、自今以後相勤めるべし。畢竟(ひっきょう)道者ならびに商人に対し、非義を企つべからざるものなり。よって件のごとし。追ってもし申す旨あらば、重ねて聞き届け、下知を下さるべきものなり。
  永禄三年庚申 卯月十八日
  田辺清衛門尉 」
 
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