山梨県立博物館 かいじあむ
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■シンボル展
No.011


「米キタ」「アスヤル」


―明治四十年の大水害から百年―

調査日誌
北海道編
4.下山梨【ソータキベツ】 その2
現在の豊浦町山梨(訪問日:平成19年7月30日) 

9.網野家元屋敷
山梨神社からさらに奥へ進むと、網野家が入植した当初の屋敷がありました。現在は冬季の豪雪を避けるために、山梨小学校付近の集落にお宅があります。屋敷の左手の丘を登ると、この地の開拓に尽力した網野時次郎氏の歌碑があります。

網野家元屋敷
10.元屋敷付近からみる現在の耕地
元屋敷付近では、広大な耕地が広がっています。
元屋敷付近からみる現在の耕地
11.網野時次郎句碑
網野さんの祖父で、この地に入植して開拓に尽力した網野時次郎氏を顕彰する歌碑が、元屋敷の裏手の丘に建てられています。
「真帆片帆 どちらに行くも 長閑なり  大正四年立之」とあり、建立に携わった人々の名も記されていました。
網野時次郎句碑

12.皇恩記念碑
元屋敷からさらに奥へ進むと、うっそうと草木が茂る中に石碑を見つけることができました(上)。網野さんの案内無しでは到底見つけることはできません。草木を取り除き、下のような石碑が姿を現しました。
この碑は、山梨団体の入植後に、北条氏恭侍従が入植地の視察に訪れたことを記念して建てられたものです。北条侍従は、移住者の鍋のふたを開けて生活の様子を見届けたとして、移住者を感動させたといわれています。

皇恩記念碑(除草前)
皇恩記念碑(除草後)
13.共同小屋跡
皇恩記念碑のある丘を下ったところに、この地に入植した移住者たちが、当初共同で生活していた共同小屋の跡地があります。現在は、草木が生い茂るのみでその痕跡を見出すことは出来ません。
共同小屋跡

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