甲斐国西郡郷名尽

「甲斐国西郡郷名尽」は、逸平の父・林右衛門が制作したとも伝えられる甲府盆地西部の村の名前を数え歌にしたものです。江戸時代の村は現在の大字に相当する場合が多いので、現在でも耳にする地名が数多く登場しますので、お住まいの地域や関心のある地域の名前をさがしてみてください。

甲斐国西郡郷名尽(一部)

(標題)
甲斐国西郡郷名ずくし(「ず」はママ)

(本文)
※( )内は資料に書き込まれているルビ、/は改行部分になります。地名表記は原文のママとなります。

甲斐国西郡郷名尽/最とかしこき君が代に/
民も賑ふ甲斐国 府/中遥に西郡 高根聳/
へし其中に 人は白根の/雪解て 鳳凰山の下(シタ)流れ/
水も溢れてほとばしる 勿/體なくも一天の 君の恵/
ぞ其の昔 下知を給は/る御勅使 其の名にめ/
でゝ勅使川 今は静に/安通を 走る駒場のい/
さぎよく 景色とゝのふ/築山も 有野の里も/
賑はしき 清き流れに有/明の 月さへ澄める徳島を/
心豊に打渡し 連/も百々の友千鳥 言葉/
六科の品やかに 野牛島/すべて榎原 感応(ノヲ)深き/
観世音 願ふ我身の上/八田 筏流るゝ釜無川の/
川の辺(ホト)りに名に(ニ)しあふ/上下繁る高砂の、松諸共/
に相生の 幾千代かけて/徳永と 昔しも今も今諏/
訪に 上下へだてゝ今井まで/すめる西野の賑いて 土地/
も吉田の里なれば 武者/の加賀美の甲斐源氏/
遠光公の御旧跡 末/葉伝ふ法善寺 弘法/
大師を伏拝み 清き鏡/の中條に 後の世までの/
長遠寺 導き給ふ/法華経の 声も聞ゆる/
寺辺より 通を藤田の村は/づれ 西と東の南湖から/
清水流るゝ和泉川/鴨(カモ)鷺(サギ)遊ぶ戸田の里 尽/
ぬ江原の御(ミ)手(タ)洗(ラシ)に なくや/田島の群蛙 十日市場/
の賑はしきさ たからく/を積こめて 縁(ユ)由(カリ)あまた/
の十五所を めぐりくて/沢登 実(ゲ)にや事古/
在家塚 毘沙門天/を安置して 栄へ繁れ/
る七郷の 原の鎮守と/あがめける 宮地ときいて/
有がたや 三輪の社をふし/拝み さきは上野か川上か/
はるか眺めて鋳物師屋に/村雨しのぐ小笠原 花/
につや(ツヤ)そふ桃園も 飯/野も越へて 曲輪田に/
利生あらはす上宮地 大神/山の伝司院 花の白雲/
たなびきし 釈迦牟二仏/の御尊霊 帰依(エ)する人/
の山寺と 四方に名高き/高尾山 穂見の神社/
は之とかや 下りて見れば/平岡に 住まで下一上一の/
二タ瀬にひゞく 滝の音/高く聞えし 妙了寺 経/
堂祖師堂位牌堂 心/ゆたかに祈念して 二人/
の中野落合を かたく/定めて大久保と 秋山/
ならで末永く 汲(ク)めども/尽きぬ湯沢から 塚/
原までも精出して 何/時も仲よく舂米に/
心を寄る平林 小林山とは/是とかや 旭まばゆく南/
明寺 葵の御紋輝きて/東照宮の御霊屋(ヲ(ク)) 忝な/
くも拝礼し やがて天神/中條の 天満宮も参拝し/
最(イト)も勝れし最勝寺/小室山とて妙法の/
寺の威徳ぞそなはりて/境内広く樹々茂り/
法論石の御旧跡 参りて最早や高下(トカオリ)の/
また立帰り鮎沢に 人の群衆(シュ)の古市場/
なほ宮沢に通夜こめて 大慈くの観世音/
恵の情に大椚 軒をつらねし荊沢に/
泊りくを呼子鳥 糸の長沢青柳/
此の村さきの富士川に 幾代すむらん鰍沢/
実(ゲ)に繁栄の御代なれや あまたの船/
に限りなく 年の貢を積上げて/
君へ捧ぐる豊年の 寿く笑顔ぞ/床(ユカ)しける


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